「死に際に思う事」. 概ね同意するけど何か違う気がしたので少し考えた.
死の間際にいろいろと思い返す時間をとれる, という前提がおかしいのだ.
どうでもいいことに時間と労力を割きすぎてしまう, という問題は普遍的に存在するのに, この前提のせいで話が小さくなってしまう. 死ぬときに思い返すチャンスが無ければ, こういう事は考えてもしょうがないのか? みたいな話になる. だって, べつに雪崩に埋まって死ぬ, みたいな死に方じゃなくても, 意識不明のうちに死ぬことは現代の文明社会といわれているところでも普通にあるので.
結局こういうのは, まだまだ先まであると思ってるから, しょうもない罠にはまるんでしょうね. でも「明日死ぬと思って生きろ」というのも, 戦国時代じゃあるまいし, いくらなんでもアレなので, どう言えばいいのか, なかなか難しいものです.
高野聖とか読んだ. 正確に言うと読み返した. 次はミシマも読むか.
「1時間に3つの種が絶滅している」みたいな話がよくありますが, これってどういう根拠なのかというと, 生息域が半分に減ったら, 種の数も半分になる, という計算らしいで. じゃあ倍になったら種類も倍になるのかよ? という話があるわけで, つまりそれ全くでたらめやで.
こういう話の難しいところは, 人間のインパクト(つまり人間にコントロールできる部分)を見積もる事の難しさです. 俺らが居ても居なくても絶滅イベントは巾分布のスケールで起きてるわけですから. 俺らとかんけいなく勝手に起きてる絶滅イベントを Background Extinction というんだって. Background Radiation というのがありますが, こんな風に使うんですね. background.
今日から連休らしい. 午前中は買い物をした. 鎌倉市街はそんなに人出もなく, わりと普段どおりの賑わい.
ヤマガラ
順調に育雛中. 食事を運んだ帰りは糞を搬出する. 雛の糞は運びやすい形になっていて, 巣が臭いで特定されたり不潔になるのを防ぐ.
巣箱の前を通ると声がはっきり聞こえるので, 雛はだいぶ大きくなっているようだ. 巣立ちももうすぐではないだろうか.
妻によると蛇がそろそろ活動開始しているようだ.