何に役に立つのか知らんけどすごい要素技術を作ったら, いろんなところに波及して大変なことになった, というのはよく産業界や学問の世界でも見かける現象だが, 同じく複雑なシステムである生命の進化でも似た現象があるのではないか, と言われている.
つまり脳の事だ.
もっというと, 知能は副産物なんじゃないか, ということなんだ. 人の場合でいえば, 手と目を精緻に制御する仕組みを備えたら, 知能ができちゃいました. ということらしい. それでいうと, 眼という器官ができた時に, 知能の誕生はほぼ不可避になったのではないか, とも思えてくる. たくさんの情報を処理するためにはそれに使う細胞もたくさん必要になるし, 代謝もよくないといけない‥
こんなふうに, いくつもでてくる必要条件を順にクリアしていくと, 知能誕生の十分条件が揃ってしまうのではないかと言われている. 何で読んだか忘れたけど, しばらくまえに見た論文か本かにそんなふうなことが書いてあった. いや, そうは書いてなくて俺が勝手にそう解釈しただけかもしれんけど.
無茶な法律作っといて現場裁量で運用する事の何が具合がわるいかというと, 世の中が「ホワイトリスト」方式になってしまう事だろう. やっていい事が限定されていて, その他はダメというのがホワイトリスト方式だ. 一部の例外を除いて, 法は禁止事項を列挙するものであり, そうでなくては自由な社会とは言えない. 法の抜け目をくぐる事については否定的に捉える考え方もあるが, 自由と創造性を勘案するとそれは問題なく許容できるリスクだ.
なぜ俺がそう言い切るのかというと, 法の抜け道についてのやかましさと創造性は反比例するからだ.
朝7時ころ撮影した. むっちゃ警戒されてる. まだちょっと寒いから, あんまり活発じゃない. 下に見える白い線は光ファイバ.
俺は小学校の頃は人生がクソつまらなくて苦痛でどうしょうもなかったので, どこか南の島で遊んで暮らしたいとずっと願っていた. 何もやることが無い, というのはどんなに素晴らしい事だろう. そう思ってた.
白状すると案外最近までそう思っていた. どうもそれは違うらしい, と判ったのは比較的最近だ. 何もしなくていい, というのは, 「おまえは世の中に必要じゃない」と言われる事だから, そんなことになったら心安らかにはなれないよ.
もしもこの世では無垢な存在が傷つけられることはなく, 恐ろしい出来事は全能の神のようなものによって阻止されていて, 環境全体がもっと優しくて許しに満ちていたのなら, どんなにすばらしいことかと思うかもしれない. しかし, そうはなりえない.
(中略)
我々が目にしている美を創造したものこそ, まさにこの冷徹な論理であり, この世の無慈悲な側面なのである. 春に咲く美しい花や華麗な蝶, フクロウ, 人間の知性もそうした側面によって創造された.
そんなわけで俺は死ぬまで生きるよ.
なぜかできる草原の裸地, フェアリーサークルの研究は始まったばかり. 原因も仕組みも全く不明だ.
たまには紙の本もいい.
jvn の mgqm 買ってきた. jvnというと StrangeLove博士のモデルとも言われる人物なので, てっきり右手が俺の思惑に逆らって敬礼するモードに入らないと理解不可能かと思ったが, 案外ちゃんと書いてあるというか教育的配慮に満ちていて非常に読みやすい良い本だと思った.
わざわざ和訳を?と思うかもしれないが, みてくださいよこの活版印刷風味. 内容の歴史的意味に加えて, この味わいと「限定復刊」という帯をみたら, 物欲が動かない方がどうかしてるだろ. 序文が無駄に豪華メンバーなのもいかす.
イトトンボとカマキリ. カマキリはけっこう育ってる.
海辺に遊びに行った. エイが打ち上げられて, カラスが突いていた.
窓にヤモリ.
この垂直でも完全にリラックスした背骨のラインがですね. 至高のクライマーですよ. 完全無欠の登攀者.