ヒジョーに仕事が進まないのでヒジョーに荒れた気分です.
寝付いてから寝室に蚊が出て寝不足になるのはよくあることだ. うちでは蚊だけではなくムカデも出ますが.
蚊を叩いて仕留めるのはコツがあって, そのコツも蚊の種類によって微妙に違う. 飛ぶコースが違うのだ. 好む背景の色や明るさや, 空間の狭さが種類によって違うし, 炭酸ガスで人間の存在を感知したときの反応の加減も違う. それから追いかけられたときの反応も違う.
茶色いやつは, より安全志向で攻撃性が少なく, 追いかけられたら薄暗いところを大きなカーブを描いて飛んで追跡を振り切る. これに対して黒に白のシマシマのやつは, 人間を感知したらほとんど直線的に飛んで襲ってきて, 追いかけられたらジグザグに素早く飛んで攻撃をかわす. どちらも, おいかけられたあと再び攻撃に移るときは, 最初の攻撃とは行動パターンが違う事が多く, より慎重になるようだ. シマシマのやつの中には非常に飛ぶのが速いくせに行動が慎重な個体があって, これは捕まえるのが非常に難しい. そういうのを俺は「エース級」と呼んでいる.
真剣に逃げている蚊を人がおいかけて仕留めるというのは大抵無理なので, 手で蚊を叩いて仕留めるには多かれ少なかれ奇襲の要素が必要だ. どうも昆虫は一般に動きを検知できる閾値があるようで, それなりにゆっくり接近すれば気づかれないものだが, 蚊でもこれは同じ事で, うまく動いて逃げられない距離まで接近する必要がある. しかし, とまっているやつしか狙わないとなると, やはりこっちも攻撃の機会がぐっと減ってしまうので, 飛んでいるやつも狙いたい.
そこで, 好みの飛行コースの予測が重要になる. あらかじめあるていどどちらに飛びそうかを予測して, 狙っていることをさとられない動きでそっちにゆっくり先回りするのだ.
仕留める瞬間の正確で素早い動作や視力に注目してしまいがちだが, そこに至るまでの段取りがなんといっても本質だ. 相手がどこに行くつもりで何をやりたいのかを知ることで優位に立つのである. 段取りさえはまっていれば, 飛んでいるやつを片手で握ってもいい .
書かれたことが本当で, 口で言った事は「言った」とか「いや言ってない. 言ったけど, そうは言ってない」みたいな事になってダメなので当てにならない, という風潮がある.
これは良くない.
口で言った事が本当で, かかれた事はそのミソっかすなのに, 評価が逆だから世の中がおかしい, と政治家の答弁を見ながら思った.
なぜ口で言ったことのほうが本物かというと, それは書かれた原稿と違ってその場で考えないといけないからだ. 「どれくらい知ってるか」以外に「どれくらい考えるスピードや発想があるか」というところが出る. 結局はそれも事前の仕込み, 綿密な調査検討が無いと活かせないのだが, その場で何か思いつく程度には修練が積まれているかどうかを見る, 一番てっとり早い方法は, 実際にその場で何か考えさせてみる事だ.
これに対して, 書かれたものは, あとづけでごまかせるから当てにならない.
大事なポジションにある人は, 今まで見たことのないケースをその場で, リアルタイムで, 片付けていかねばならない. たとえば政治家の一番大切な能力はこれだと思うのだが, 難しい漢字によみがなの振られた書かれた答弁を読んでるだけでは, そんな能力は鈍磨しこそすれ発達する事はありえないし, 選ぶ側にもそういう見識は全く養われないし, おかげで俺らは議論が上手になる事もなければ, 喧嘩も弱くなる一方だ. 結局あとになって変な架空戦記ものでオナニーするしかなくなって, 非常にせつない.
即興に関しては2重にダメな風潮がまかり通ってる. もうひとつのダメさは, こういう能力って天賦の才で, 訓練してもしかたがない, ってみんな思ってるところだ. その場で思いつくのは天才だけ. それは才能そのもの. 訓練なんかしようがない. みたいな. 即興イコール神秘主義. いやいやいやそれは誤解ですよ. 即興にも理屈があり, したがって訓練も可能なのだ. そうでなくては, 同じ岩は二つとないのに, なぜ岩登りが上達したりするのか. 才能だけで即興能力が決まるのなら, 同じパスは二つと無いサッカーが上達する事は, そもそもありえないではないか.
だから芸能人が政治家になるのは案外悪くないと俺は思っているんだ. 成功したスポーツ選手もだ. 彼等をあんな客寄せパンダとしてしか使わないのは, それこそ才能の浪費だ. そして面接は最高に重要な選抜方法だ. そしてもちろん面接は訓練で上達する. だが昨今流行りのしょうもないアンチョコはおそらく, 手を出すだけ能力が鈍磨する. 交渉のテーマを徹底的に研究考察しておく事以上の訓練は無いし, それをやれば十分な訓練になる.
逆説的に聞こえるが, たとえば発表の内容を暗記することが最初の訓練だ. 原稿を読んでるだけでは絶対に不可能なレベルの発表内容の精査が暗記することで可能になるのだ.
面接する側も試される. つまり面接される側はチャンスだ. 何かを言うということには, 二つの意味がある. 言った内容と, 言いたかった内容だ. 頭のよさってのは計算の速度だけじゃない. 心理的なダメージから回復する速度だって頭の良さだ. 計算が訓練で速くなるのなら, これだって訓練で速くなる. だから, いいかげんで「コミュニケーション能力」という言葉を, 適当な事を口から出まかせほざいて他人からカネを巻き上げたり言うことをきかせる事, というような意味で使うのはやめようぜ.
なんか話がそれた気もするけどとにかく書かれた事は当てにならない. この記事もな.