でぃしぷりん (2012/08/28)


科学のなかのモニョり成分

ニセ科学を叩いてる連中のなかには, 科学とそうでないものが簡単に区別できると思っている奴がいる. 科学でないものはすべて, 誤った知識に基づいているので, そこから自明な推論を重ねていけば矛盾に到達すると無邪気にも信じている. 全くおめでたい連中だ. 誤った知識を仮定に使ったことをそんな簡単に判定できるのであれば, 先般の超光速ニュートリノ騒動は起きなかったし, プロジェクトのボスだってクビにならずに済んだはずだ.

あの教訓から論理的に結論できることは, 科学とそうでないものの区別は簡単ではない, という事だ.

科学とそうじゃないものの境界の曖昧さは科学の奥義であり神秘主義的な部分だ. その, モニョっとした感覚を知る人は少なく, かつ, この感覚は共有しがたい. それは自然科学の密教であり, 既にこれを体得している人と共に過ごすことで獲得する体験なのである. discipline とはよくいったもので, これは師匠の元で "修行" しないと身につかないのだ.

どうしてそんな厄介な事になっているのだろうか. なぜ限りなく透明な科学の世界に, そんなわけのわからない要素が介在するのか?

それは, 観測される出来事と食い違わない仮説は無数に存在するからだ. 無数に存在する仮説から, 観測や実験によっていちいち具合の悪いものを排除していたら, 人間も時間も有限なので, いつまでたっても正解にたどりつかない. この自明な事実から推論される結論は, 科学には事実と論理以上の「なにか」が含まれている, ということだ. それはモデルの単純さへの嗜好かもしれないし, elegance への欲求かもしれない. 無数に存在する「間違ってない仮説」から正しいものを選び取るやり方, センス, 嗅覚こそが, その分野( discipline )とは何であるか, という根源なのだ.

ニセ科学の問題は, 人の心理の奥深くに根ざしている. 人は見たいものしか見ない, とか, そういった事だ. fact と inference を使って error を排除するだけでニセ科学は滅んだりしない. なぜならば, 科学はしばしば進歩するが, 人の心理や生理はそうではないからだ. だから毎回, 弟子に新たに discipline を注入せねばならない. そこがうまくいかないと, 無限にある「間違ってない説明」の中からスカを選んでしまう. そして「超越的な知的存在が生命を設計した」などと言い出すのである.

知らない領域を開拓するというのは, 知らない暗い部屋を手探りすることだ, とよく言われる. あまり言われないのは, 知らないという事が, 人を猛烈に不安にさせるという側面だ. 「これを計算しろ」という問題と, 「これが計算できるのなら計算し, できないのなら理由をいえ」 という問題は, 求められる内容は同じでも, 解決する方にかかる負担は比較にならない. この, ひどいストレスのために, 美しく, 力強いけれどもなかなか手に入らない説明ではなく, 身近で, いままで見たことのあるようなモデルを選んでしまう. そして厳しい修行をつんだ優秀な科学者といえども, 意外なところでそういう過ちを犯さないとは誰にも言えないのである.

2012/08/23

魚がいなくなっちゃうよという話.

マグロもイワシもサンマもサバもいなくなっちゃうよ. ある程度減ったら, もう戻らないんだ. なぜなら, あとから生態系に参加しても, まえと同じ位置は空いてないから.

難しい問題って定義上, 正解率が低いわけですよ. そこに各個人が自分の判断で独立に投票したとすると, 結果は誤りに収束しますよね. 証明はどっかそのへんの確率論の教科書でも見てくださいよ. もう一回言いますよ. 誤りに収束します. 正解を選ぶのは不可能です.

2012/08/28

なんか研究会で発表した.

これまでの人生のなかで, 一番面白かった学会だった. すげぇ面白かった. 発表内容も人も最高だった. 特に, マクロ経済学の吉川先生というのが最高だった.

これ発表資料 なんかグラフィックがどっかいっちゃってんのな. 今回, scalable vector graphics で描いたんだけど.


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