IKAROS復活 (2012/09/15)


絶滅するという紙の書物

エーコとカリエールの対談.

題からすると「端末に依存するような囲い込みコンテンツに未来はあるのか? 電子書籍市場で最後に笑うのは誰か」みたいな話だ, と思う人は著者を見れば居ないと思いますが, そういう話ではありません. 電子書籍の話もちょっとはでてくる. 「車輪やスプーンを作り直すのはばかげている. 本も.」こんな感じです. もっとおもしろくて大切な他の話題が分量の大半を占めている. それは生き残るコンテンツとは何か, という問題だ.

もうしばらくまえから, 本に関連してもっとも大切なのは, 何を読むべきか, という問題だ. 読書に費やすことができる時間を考えると, あまりにたくさんの本が存在している. 読むに値する本をどうやって探すのか. これが読書に関する最重要課題だったのであり, それはこれから先もそうありつづける.

たとえばこんな話がある. ギリシャ悲劇の名作としてアリストテレスの詩学にでてくる著者のうち, 現存しているものは皆無であり, いま我々が知っているギリシャ悲劇の名作は全くアリストテレスで言及されない. ギリシャ悲劇のうち, 最高のものは既に失われており, 我々がありがたがっているのはみそっかすなのかもしれない. その可能性を検討できる, というだけでもまだ運が良い方なのかもしれない. そんな事例が他にどれほど存在するのだろうか?

読むべき本の基準は変化する. これが本をフィルタにかける. 読まれるべきものが無視され, どうでもいいものが人気を博し, しばらくすると, 立場が逆転する. 今, 古典として通用しているものが, これから先も尊重される保証はない. 忘却と炎では書物の運命の決定においてどちらがより強い権限を持っているのか?

これが本書で扱われる最大のテーマである.

筆写本は筆写するものの意見や改変を含む恐れがあるが, 信仰集団による記憶と詠唱はそのようなおそれがほとんどない. インドの古典はそのようにして伝えられてきた(だから発音も判っていて, 印欧祖語を復元できた), というエピソードも紹介される. 記号のもっとも有効な保存はメディアではなく記憶なのではないか?というわけだ. 内容ではなく, 読む事自体がおもしろいので, 読書は悪徳たりえる, という話もでてくる.

この本は最初, 鎌倉市の図書館で借りたのだが, 読んでる途中で本屋で買ってきた. 造本もかっこいい.

かがく

2012/09/15

トックリバチ. 巣がかわいいんだよ. みたことある? 最近, そういえばあんましみかけないね.

すけすけ


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