あけび, むかご, 超音速 (2012/10/16)


2012/10/14

朝からまたむかごとりに行って, 昼から海上自衛隊の観艦式をみて, 昼寝した. 艦隊行動ってのはなんともこう, いいもんですね.

今日は音速突破紀なので, 肉屋で肉買ってきた. 600g. それで, 「ライトスタッフ」みながらステーキ食って音速突破を祝うのである.

今日はフリーフォールで音速突破を狙うおじさんが飛んだそうだが, 体重だけで音速超えるようなスピードは出るもんでしょうか? 俺にはよくわかりません. いくつかメジャーなリスク要因はあるが, 俺がこれは恐ろしいな, と思ったのは, 姿勢が制御できなくなるおそれがあるのだそうだ. なんせ空気が少ないので, スピンしはじめたら戻すのが大変だ. スピンの恐ろしさは頭に血が登っておかしくなっちゃうかもしれない事で, こうなると飛行機だって脱出できないし, 人の場合はパラシュートを開く操作ができない(もっともパラシュートはたとえ気絶していても高度で自動で開くように作ってあるだろうが).

X-15 は高高度での姿勢制御用に機首に小さいロケットモーターを積んでいた.

とにかく無事に着地したみたいで, よかったねぇ. フリーフォールの高度記録を狙って亡くなった人は, 今回の人のまえに何人かあるらしい. 今回はネットで中継もあった. 俺は途中で寝てしまったが, 起きたら失敗して死んでました, ではアレすぎる. 奇しくも音速紀ということで, きっと the demon のご加護があったのだろう. そして, 彼のまえに亡くなった人たちは, 高度と速度の壁に挑んで死んだ人たちだけが招待される天国に行ったことだろう.

肉はすげぇうまかった. きっとパンチョのステーキよりもうまかったと思う. せめてそれぐらいは勝たないと.

2012/10/15

すごい遠くの銀河の画像をみると, 今ここで釘付けになって観察しつづけることの限界というか, そういうすごい遠いところに行ってみたいという願望を漠然と持つのだが, そういう事ってないですか?

今日も朝からむかご集めてきた. 今朝はいっぱい集まった.

肉弾超音速野郎の動画をみたが, こう, 飛び降りる時のカプセルから下をみたところが, ものすごいね.

あの高度から単身で地上に帰るのは直観的に言ってまったく不合理で不可能だ. あそこまで登ってしまったら, もう死んだも同然だ. だからこの冒険は, 39kmの降下に成功する, というよりもむしろ, 39km上空に居るときは死んでいて, そこから奇跡によって地上に復活する, と言った方が正しい. 一回死んでそこから復活する冒険には確かに新規性がある. それに比べれば, 高度とか超音速などの記録はまったく瑣末で, どうでもいいのだ.

ところで話は変わって, 日電のリストラの記事が赤旗に載ってるらしいんだけど, その web 記事を読んで, 俺はすっかり暗い気分になった. 俺はもう読みたくないので記事は探さないしリンクも張らない. 読みたい人は勝手に探してくれ. そこで今日は, 「おまえは要りません」と面と向かって言われても会社をやめない人を作るテクニックと, その恐ろしさについて書いてみたい.

すべては, もらう理由のないカネから始まる. もうら理由の無いカネは麻薬だ(麻薬やったことないけど). 自分がなぜ生きているのか, なぜそこに居るのか, それを考える習慣とセンスを, このカネが破壊してしまう. これは非常にヤバい事だ. 魂が腐って, 今の自分が許せなくなって, 最悪の場合はパチンコ屋に入り浸るようになってしまったりする. 「法に則って裁いたり収めたりしているうちは, 人々は為政者を恐れない」という話が中国にあるが, 理由の無い刑罰だけでなく, 理由の無いカネも, 理性を破壊し考える習慣を奪う力を持っている.

ボーナスは, この効果を持続的かつ限定的にした仕組みで, 雇用者からすると夢のシステムであり被雇用者からすると悪魔の発明だ. 経営的に言えば, 月々を多めに渡しても何の違いも無い(実は違う). だが, これを会社員から見ると風景はまったく違って見える. 時々, もらう理由の無いカネがドサっと手元に入ってくる. なぜか? 理由は存在しないので, 考えても解るわけがない. そこで結論は, 自分がたまたまそこに居たから, となる. そうなったら意地でも居つづけないと. 少なくとも, 次のボーナスまでは辞められない. こうやって一旦, 脳みその報酬回路をカネで麻痺させてしまえば, あとは安い給料で幾らでもコキ使えるし, どこにでも飛ばせるし, 何でもやらせることができるのだ.

危険を避けるのは自然な人間の行動だから, それを人に言われるまで待っているという無力さは, 作られたものだ. すべては, もらう理由の無いカネをもらったときに始まっていた. そしていま, 最後の業務命令が下されている. 今更その命令に反抗しようと思っても, どうすればいいのか解らないし, 命令を拒否しても, そのあとどうするのかも解らない.

財の生産と切り離されることは, 経済的に自分が武装解除される事だ.

あえて教訓を引き出してみよう. カネをもらうときは必ず, 渡す側になって考えよう. カネを払う側になって考えてみれば自明だが, 理由もなくカネを払う人は居ない. そこに合理的な理由が見出せない場合は, どこかに不合理な理由が必ずあるのだ. そしてそれは, 非常に恐ろしい事なのだ.

ところでまた話は変わる. ノーベル文学賞は, なぜクソなのか? 俺には今やっとその答えが判ったぞ.

良い作家は死んだ作家だけだ. なぜか? 作家の死に様は, しばしば作家の最大の作品なのだ. つまり生きてる作家をどうこう言うのはメインを食べずにレストランを品評するのと同じだ. だからノーベル文学賞はクソなのだ. 授与対象を存命者に限定した瞬間に, クソであることを運命づけられている.

実家から送ってきたアケビ


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