カメラの露出調整ボタンが効かなくなったので一回分解して組み立てた.
直った.
ミックスナッツをガシャガシャやると, 上に大きい豆が浮いてきて, 小さいやつは下に沈む現象には, ブラジルナッツ現象という名前がついている.
これがどのようにして起きるのか, ということについては世界中で熱心に研究されているのだが, 先日, むかごをたくさんとってきたときに, 大きいのと小さいのをよりわけるのでこれを使ってみた.
うまくいったような, あんましうまくいかなかったような.
今日は大船に買い物にいった. コショウがなくなったので. ついでにバターと七味とチーズも買ってきた.
ペパーミルにコショウを補給する時に, 中途半端に粉砕されたやつが机にちらばったりするのはありがちだと思うが, もったいない気がしたので, かきあつめて食べてみた.
むちゃくちゃむせた.
香辛料が同じ重さだか量だかの銀と取引されていた, といういつの時代の話か忘れたけど, そういう話を聞いたことがあるやろ. それの刷り込みがあって, もったいなくて捨てられないんだよ.
俺は昔会社やってたころ(今もやってますがw)夢があったんだ. つまり, 眠たい経営者が漠然と思ってる「引退したらどうのこうの」的なアレだ.
それは, 「架空構造物の視覚表現の歴史」だ. 時代に応じて, 架空の構造物の視覚表現は変化してきた. そこには文化的な, あるいは技術的な背景がある. 誰が, どこで, どのような架空構造物を視覚的に表現したのか. そこに見られる空間的, 時間的な系譜と構造を調べてまとめたい, というものだ. どっかの美術史の学科で, そこで学位論文にまとめようと思っていたのさ.
なんでそんなことを思いついたかというと, それは, ウィーンの美術史博物館にいったときに, ブリューゲルのバベルの塔を見て, 全体の形はジグラートなんだけど, 個々の部分はゴシック様式の飛び梁(フライングバットレス)だったりして, 多分, それは当時の画家が知っていた最も高度な建築技術であり, したがって, その視覚表現が持つ意味も, 今とはかなり違うのではないか. どちらかというと今でいうところの小松崎しげるの未来都市とか, 今ではSFと言われる分野が担当している先進的建造物表現に相当するものだったんじゃないか, というような事を思ったのがきっかけなんだ.
そういう視覚表現が求められるようになった文化的背景には, やっぱしテクノロジーの進歩ってものが多少は世の中の人々に感じられるようなものが何かあったはずだ. つまり, そういう世の中の変化が, 「今わしらが知ってる技術のはるか上の存在」を意識させてくれるような状況を作り出していたのではないか, という事なんだけど.
また, そういう存在を描く上で画家に可能だったのは, やっぱし当時利用可能だった技術をもとに, 何かでっちあげることだったし, かつ, それが自分たちが置かれている状況との連続性と, 差異を同時に感じさせてくれる手法でもあったのではないか.
まぁそんなような事をですね, 挿絵をいっぱい使ったり, あちこち旅行したりして, しらべていくのはいかにも優雅で, 多少は頭も使うし, 楽しげではありませんか. 当然, モビルスーツの視覚表現も, そのパースペクティブの上には出てくるわけですよ. しかも, こういう研究はまったく世の中の役に立たない.
今はそんな事をやれる見通しもまったく無いので, 誰かこれをおもしろいと思ったら, このテーマで調べてみませんか. それで, 何かおもしろい事が判ったら教えてください.
fenix の LD12 は2週間使ったら電池がきれました. どうやって電池がなくなったのが判るんだろ, と思ってたら, 明るさの切り替えができなくなったことで判った. 一番暗い設定から動かなくなるんだ.
とりだして測ってみたら, 電圧は 1.1V だった. まもなくなくなるところだね.
2週間だから, 10日ほど使ったことになるかな. 毎日, 寝床で本を読むのにも使ってるけどね.
こどもがレゴデビュー.
でも俺は, 最近のレゴはどうも納得いかないんだ. 葉っぱの形とか人間の形の部品があるんだけど何だあれ. これはレゴの世界観というか, 存在論と相容れないだろ.
つまり, レゴの存在論というのは, 結局のところレゴ世界において実在するのは, あの凸と凹である, という事だ. レゴ世界において真の意味で存在しているのは, 個々の凸と凹だけだ. あとは全て, この存在論的な単位, あえて言えば原子の, 組み合わせであり, パターンにすぎない.
数学的にいえば, あのツブツブの一つ一つが, 世界の位相を与えている. 世界を分割し, 計測し, 構築する基礎となるのが, あのツブツブなのである. 俺たちは位相空間論をレゴで学んだ. 違うかね?
そういう存在論のもとにレゴ世界は成立している, と考えていたのは俺だけだったんですかね.