コジュケイ 自由 銃 (2013/01/10)


コジュケイ

コジュケイ軍団.

全部で8羽ほど居たよ. 歩いてうちを通過していった. えらい互いにくっついてる. 丸くてかわいい.

こいつら案外警戒が強くて, なかなかうまく撮れないんだよ.

ハッカー 自由 銃

ずっと NRA に同調するような言動を示す人がソフトウェアと情報の自由を推進し, ソースコードを公開する事を推奨するような人々のうちに居るのがよく解らなかったのだが, 最近やっとわかるようになった.

すべては自由のはなしなのであり事情は単純だった. 何か問題がおきるたびに, 政府や企業は規制しようとしてくるものであり, それはお断りですよ, という事である. こういう事は口で言ったり法律に書くのは全く意味がなく, 銃を持っている事が自由を担保するのである.

あるいは, こう言い換えるべきか. つまり武装してない個人は奴隷である.

言いたいことは判ったが, 21世紀の文明社会にこの主張は, やや無理がある. 個人が武装する大義がそこにあるのなら, 立派な戦車や, ましてや航空戦力相手にたかが拳銃や小銃で, 現実問題として一体何するつもりなんだよ, って話になる. だからといって父祖伝来の武装蜂起の権利を手放すのかよ! ってことなんだろうけど, その権利というか証文はほぼ実効がないわけです. これがたとえばソマリアなら十分意味があるわけだが, 文明国の, 第三次世界大戦に備えて作られた軍隊が相手では無意味だ.

なんでそんな事になっちゃったのか, 理由を考え始めるときりがないけどね. 武装する権利に付随する責任を教育する社会的プログラムが欠如しているか, 欠陥があるという考え方もできるし, 武装や戦闘における技術と慣習の変化に, 法的な整備や社会通念が追随できなかった, とも言える.

武装する権利がないのは全員奴隷ってのが, また大胆極まりなくて俺的にはわりとツボなんだけど, 個人的なツボというか感傷以上のものではない. こういうものを無理に一般化するとろくでもないことになるのではないか, というか現にろくでもないことになっている.

ある程度大規模な反乱が起きて警察の手に負えなくなると軍が動員されて, 自国民を撃つと軍が割れちゃって, しまいに政府が転覆する. つまり個人が拳銃を持ってるかどうかではなく, 軍が割れるかどうかで武装蜂起の成否は決まる. 戦闘という仕事が高度な職業的熟練と技術的装備を必要とすることから不可避ななりゆきだ.

情報とソフトウェアの自由の方が, 個人の武装より可能性がありそうです. アマチュアの出番は撃たれて死んで軍人の気が変わるのを待つ事だけ, と考えると憂鬱な時代だけど.

2013/01/10

2017が次の素数年だが, 2021 が次の素数っぽいけど実は違うわけです. 2017 の次は, 2027 です. では 2021 は何の倍数かというと, 2021=43*47 ということでした. こういう, 隣り合う素数の積として表現できる数に, なんか名前ついてたような気がするけど何だっけな.


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