現役トップとの対決は実現していないが,もう勝ったも同然なので開発プロジェクトは終了するとコンピュータ将棋の人が言ってるという.
ところでこちらは 天然無能による深さ優先探索です.
最近は技術の進歩も著しいので人工知能でなんでもできるようになるんちゃうけ?みたいなのんびりしたことを言う人に,ちょっとわかってるひとが,「そんなわけない.計算機にはまだまだ〜はできないしどうやればいいのか見当もつかない.君たちはしらないだろうが,ニューラルネットに限定しても,かつてこんなに何回もブームとその終焉による冬の時代があったのだ」という事を言う.そういう風潮がある.
俺はよくおぼえているが,ほんの20年まえ,日本の将棋は計算機には到底こなせないし,どうすればいいのかもわからない,人間だけに可能なゲームの代表だった.最高の才能をそなえ,最高の訓練をうけた人間がそのゲームで計算機に敗北する,ということは,計算機が彼等には思いつけない創造的な戦略,戦術をもっているという事である.
しかしどういうわけか技術の側がこれを認めない.達成できそうになると人工知能という定義のハードルをあげる.永遠に到達できないゴールである.
もちろん人工知能開発はおもしろいし役にも立つが,この現象自体の方が興味深い.なぜ彼等はそのような態度をとるのか.
自明な回答としては,「これは限定的な課題を限定的な場面において解決するだけのマシンにすぎないどうのこうのじゅげむじゅげむ以下同文」である.彼等が言ってるのはそうかもしれないが,結局言いたいことは,機械ごときにできるようなものはたとえどんなにすごくても知能なんて言わないんだよ,という意味である.
科学と技術の歴史は,人類が世界の中心を追い出され,周辺的な存在に,特別ではない普通の存在に都落ちしてゆく歴史でもある.いま,これが知能と漠然と呼ばれている領域において起きている.その動きに対して,心理的な葛藤を強くうける人たちがいるらしい.自明な歴史的事実を知っていても,新たに発生した都落ちは我慢がならない,という事が興味深い.
もし,たとえば最高の天然知能が実践する,最高の知的業績を,教えなくても勝手にトレースできる装置が誕生するまでは人工知能は達成されたと言えないのであれば,それ未満の仕事しかできない人工知能にも及ばない天然知能をもった人たちは,一体何なのでしょうか?たとえば私は知能の名に値しない,単なる世界のゴク潰しなのでしょうか?
こういう間違いが発生する根本原因の一つとして,知能の定義の間違いがあると思うよ.
中枢は commanding centre ではない.そうではなく,末梢からのリクエストに応答するサーバプロセスにすぎない.だから,大切なのはむしろ末梢,センサでありデータソースのほうだ.そしてそこからの入力こそが知能の本質なのだ.
結局のところ人工知能研究も枠組みが近年そのようにシフトしたからこそ成果を出してきている.だから,データに対応した適切な処理モデルを自動的に生成するような仕組みは,それがどれほど小規模でくだらない機能しか実現していなかったとしても,まさに知能そのものなのだ.データが本質で中枢はおまけだ.
同時に,俺は歴史も忘れたくないと思う.このような中枢と末梢の関係に思いを致すのは,当然だが我々がはじめてではない.形而上学には,一切の入力を絶たれた中枢は存在を認知しうるや否やという,空中人間(floating man)という歴史的かつ著名な問題がある.結局のところ,ソフトウェアの理論といっても形而上学の再発明にすぎない,という俺の思いは日々こうして強化されていく.
映画「immitation game」のなかで Alan Turing がいう.「機械は人間とは違う.同じように考えるわけではない.両者の方法はまったく違う.しかし,だからといって機械が考えてない,ということはできない」.本当に彼がそう言ったのかどうか俺は知らないが,そうだとすればさすがとしか言いようがない.一方,いかなる知的業績といえども時代に固有な限界を免れることはできないとはいえ,機械にできそうになればそれに応じて知能の定義をこっそり書き換える輩は,俺には残念きわまる存在に思えるのである.
何度か失敗したあと,モンベルの折りたたみ傘のホネが折れたのをついにドライカーボンシートとスピードエポキシを使って修理成功.
こういう細い部材で常に力がかかっているものは,養生が非常に難しいわけだが,接着剤の固まる速度が速ければその難しさもだいぶ緩和される.
久々にドライカーボンの加工をやった.うへー.もちろんちゃんと防塵マスクは使うけれども気分悪いことには違いない.
むかご.
でかいカマキリをよくみかける時期になった.
できあがり.肉も激しくうまかった.
サシバ2, ノスリ3, チゴハヤブサ1.
富士山が上だけ雪かぶってた.
明日は音速紀なので今日は肉を買ってきた.といってもいつも世話になっている肉屋は定休なので,一度いってみたかった港南区港南台のハナマサへ.稲村ヶ崎からは12kmほどである.オーストラリア産のフィレステーキを買ってきた.1800円.
ハナマサ,悪くないが期待したほどではなかった.
おおむね終わったぽいのかな.ノスリ,チョウゲンボウ,ハヤブサ(画像)など.ハヤブサは何か食べたあとで,腹一杯(喉いっぱい)だ.
飛行艇をみかけた.このあたりでも,まれに見かけますな.
帰りに八幡宮の鳩をオオタカが熱心に追いかけ回しているのをみかけた.
アサギマダラが海を渡って行った.