えのすい,どんとやき,うぐいす菓子,時間について考える(2016/01/28)


えのすい

2016/01/19

どんと焼き(八幡宮)

フードプロセッサの回転刃で手切った.あんまり切れ味よくないので,かなり痛いね.

おやつコレクション

久々にうぐいすシェイプの和菓子を調達.

冬場の餅のうまさは異常

洋菓子も

2016/01/24

科学技術館というところで,日本のオーダー自転車工房を中心とした展示会があったので,一家ででかけた.

ピタゴラ装置のようなものが大量にある.いまいち趣旨がよく理解できないものもけっこうあったが,かなり盛りだくさんなので非常に面白い.

募金箱ひとつとってもこの調子である.

午後からふじわらさんの師匠である細谷さんの時間に関する講演があるので本郷に.家族の体調がすぐれないので,宴会は出席せずに帰宅.帰りはCADの柳生先生と一緒にお茶の水駅まで歩いた.

時間については俺も若干,おもうところあるんですよ.

なんでそんなことを思うのかというと,確率的事象,あるいはランダムネスとは何か,という話があるわけです.俺は2008年の正月に確率論を勉強してからというもの,これがずっと気になっているのです.現代の確率論では,それについては一切ふれずに,確率とは何であるかを定義するところから始めたところが頭がいいし,それによってすごいパワーが得られているわけですが,そこはそれとしてやっぱし最初の一歩は誰しも気になります.

確率的事象がおきる.つまり何が起きるか知らない,知り得ない状況から既知の状況に変化する,というプロセスがあったとします.たとえばどの番号のクジが当たりなのかが判明する,というような出来事です.普通に考えると,記憶があるので,この状況は元には戻らない.

そこで考察の対象を,クジの胴元とクジだけに限定する.これなら時刻を巻き戻して同じ事を何度でもできる.なかみの判っている鍋のふたを開けたり閉めたりしてるのと同じ事でバカバカしい限りだが.

こういうちがいはどのようにしてなぜ生じるのか?なぜ時間だけが逆戻りできないのか.

そこで,時間が他の次元と区別できるかどうか,という問題を考えてみる.

何かの対象が運動しているとき,それを低次元の多様体に埋め込むことができる.点の運動を1次元の幾何学的対象として表すような操作だ.一般に,埋め込んだ表現を元にして,元の運動を完全に復元することはできない.たとえばどっちが前だったか,埋め込みだけからはわからない.それができるためには埋め込み先の空間に標識しておく必要がある.

ここで,時間に埋め込む先の空間の次元を追加して割り当てることにする.n次の対象の変化をn+1次の多様体に埋め込むことができる.このとき,時間軸がどれなのか,埋め込み表現だけから突き止めることは可能だろうか.たとえば2次元の保存力場における単純な連続運動は,3次元多様体に自然に埋め込むことができる.埋め込みから時間軸をとりだすことは可能か?

保存力場の運動は無限の過去から未来まで正確な記述が可能で情報は増えたり減ったりしない.その場合は時間は他の次元と区別できない.時間と他の次元の違いがでてくるのは,情報が増えるところにある.それがなければ,埋め込み先で他の次元となんの違いもなくなってしまう.

時間と情報あるいはランダムネスはこのような,同じものごとの裏表の存在なのではないだろうか.

もし,我々の脳が記憶を蓄えることができなければ,認知からは時間が失われる.もちろん我々を構成している物理系では刻々とエントロピーが蓄積しているわけで,客観的な時間は経過しているわけだが.

今日はここまで考えた.続きはまたにしよう.


過去の落書きリスト