「火星人」みてきた.朝一番でチャリとばして辻堂.終わったら昼.なかなか長いので十分に楽しめた.
全般的にいって,非常によかった.
特にぐっときたところ.順不同.
人はいずれ死にます.これは人生の充実,あるいはもっと狭い表現を使うとすれば美しさ,にとって不可欠な事で,いずれ死ぬという必然性がなければ,毎日をまじめに過ごす必然性もまた失われてしまう.正しく進化しなかった生命が崖から墜落しなかったならば,鳥がこのように美しくなることもなかったように,これは,美しい人生という同一の存在を別の角度から描写したものにすぎない.
そうであれば,死は早すぎたり遅すぎたりする,という事はありえないのではないか.
現代においては,人間には自由意志という概念装置が備わっていて,表向きにはこれによって自分の様々な部分を操縦して日々を自分の思うとおりに生きていくことになっているのだが,実はこの考え方は間違っている.まじめに考えると,ではその自由意志というのはどこに存在し,誰が何を操縦しているのか,という事になって無限に自由意志の存在している物理的,あるいは論理的範囲が縮小あるいは後退し,理屈上おかしな事になってしまう.
自由な意志は,これまで起こったことを順序立てて整理して記憶し,思い出すための,名目上の存在にすぎないのである.もっといえば,自由意志は,ついやらかしたことにそれっぽい理由を探してきて人格が破綻するのを食い止めている哀れな使役人にすぎない.
全ては起こるべくして起こる.そしてめでたく寿命が訪れるのである.
だが,その事実は我々が亡くなった人を悼み悲しむという感傷や慣習と全く矛盾しない.石が落ちてくるのは物理的に必然であるが,それが当たれば誰だって痛いのである.
最近,そんなふうに思っている.そろそろ彼が居なくなって9年が経つ.
勉強のやりかたをまとめるのが流行っている.
俺は勉強するのが苦手なので,これといって人にいえるような事は経験もしてないしまとめる事もできない.
しかし,幾つか言える事はある.単なる経験則なので,万人に当てはまるとも思えないし,体系になっているわけでもないので箇条書きにしておく.
たとえば経済学であれば,その目標は「経済活動とは何であるか.またその望ましいありかたとは何か」を研究するものである.固有の方法論が幾つか確立されていて,IS/LMモデルなどという名前がついている.そのなかで難しいところは数学で,それは確率過程,確率微分方程式などで表現される.師匠といっていいのかわからないが,この人の書いたものは信用できるし読むに値する,という人が俺には二人あり,一人は吉川先生,もう一人は小林君である.
40になってからも,俺は幸運にも自分の考え方が大きく変わるような本,そして師匠に何人もめぐりあう事ができた.これからもそういう出会いがあればと願っている.
最近読んだ本でいうとこのあたりになると思う.発想方法みたいなところから,かなり得るところがあった.
今日は吉川先生の最終講演だった.
最終講義は,思い出話も多少はあったが,多くは本気の内容で経済物理の研究会で話すような話題だった.
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