Kenneth Clark "Civilisation" の "The light of experience" より
かつて、科学と芸術は同じものだった。 18世紀から19世紀にかけて科学機器類は、その機能や目的だけでなく、 将来はもっと合理的でマシな社会を作ることができるだろうという希望の象徴としての意味も持っていた。 顕微鏡も望遠鏡も機械式時計も、かつて人類が持っていた未来への希望が形になったものの欠片だ。
この希望と同じものはもう手に入らない。 科学を道具として使うことで苛烈きわまる差別的な社会がうまれ、 大量破壊兵器が製造、使用される一方、21世紀になっても金融システムの不安定性などは一向に解決される気配もない。 そのうえ、経験、実験、観測が置き換えるべき聖なる権威はまだまだ多方面に健在だし、それどころか新たにうまれてすらいる。 まったくうんざりするはなしだ。
しかし、泣いたり拗ねたりしても始まらん。 インドの坊主が「人類が知るべきではない知恵をもたらす」として顕微鏡を破壊したという話をきいて、テニスンは大いにショックをうけた。 俺らにはその坊主が間違っていた事を示す責務がある。 まことに驚くべき素朴な道具と材料を使っても、段取りと熟練によってGPSの真似事ができるほどの精度が出せるのだ。 経験、実験、観測に基づいて合理的でマシな社会は作れるぞ。やるんだ。
なんてこった。時計を落として文字盤ガラスを割ってしまった。もちろん修理に出した。 ほとんど奇跡的な気がするが、なんと、修理をうけてくれる店がちゃんとあるのだ。中の機械は大丈夫そうなのが不幸中の幸いだ。
最近、書く事がなくなってきた。 かかねばならないことはだいたい論文に書いているせいか。
学位論文を提出して博士(シミュレーション)になったのだ。3年かかった。こんどその話を書くよ。
これは律令政府の役人が書類(当時は木の板に毛筆で書いた)の間違いを修正する(削る)のに使ったとされ刃物で、 ステイタス・シンボルとしての意味もあってそれなりに豪華な作りだったりするものも伝わっているという。
俺が最初にこういうものを見たのは奈良国立博物館で行われた正倉院展で、その時に見たのはそれほど華美ではなくシンプルな造作だけどとても良いと思ったのでそのうちこういうものを自分で作ろう、と思った。
でもいくつか問題があって、最大の問題は鞘が単一材の掘り抜きだというもので、要するに作るのがめちゃくちゃに大変そう。 もうひとつは口金が金銅、つまりブロンズにファイアーギルトで、これは今の時代には無理な材料です。ファイアーギルトというのは、 金を水銀に溶かしてブロンズに塗って、焼くと水銀だけ飛んで金がメッキされるという工法です。そんなもん今やったらめちゃくそ怒られるで。
口金と鞘の金具類はK18にしました。K18の加工はロウづけになりますから、材料とそのための道具(といってもろうづけ用 セラミックとフラックスだけど)を買ってきて、ユーチューブでジュエリー製作動画を見ながらなんとかロウづけをやりました。最初はびびるけど、慣れてくるとどうってことないし楽しいもんですね。
コツは接合部分の隙間を完全になくすことと、母材の接合部の温度をロウや関係ない部分の温度より先に上げることですね。これに尽きます。まぁ要するにどれもこれも段取りですわ。製作期間およそ一ヶ月。