それまで何をやってたかというと, ゲームでした. ムーゲーぶちかましの, 馬鹿たれでした. マジで. 主にやってたのは Virtua Fighter という奴でして. ええ. SEGA の作った名作ってゆうか超画期的な すごまった 3D ポリゴンぐりぐりの格闘ゲームであります.
この世界, やっぱり天才は居るもので, Virtua Fighter の作者である SEGA の鈴木さんといえば, それはそれは偉い人なのです. なんせ, アニメ画がコマ送りで ちょこちょこ動いていてスプライトで判定出してた時代に, ポリゴンで格闘ゲーム作ろうと考えるんですから, かなり変な奴です.
このゲーム, 結局相当ヒットしたもんで, 続編がいろいろあるらしいので すが, 私は Version 2 までしかやってないので, あとの方はフォローしてません. Version 2 の出た頃が最高にはまっていた時期で, 大岡山あたりでは物足りないのでわざわざ新宿やら 池袋まで出かけてました. 対戦相手を捜して. アホです. 月に 5万くらいこのゲームに使ってました. 一日 1000円とかいって, 使う額を決めて, 「今日はこのパターンを 試す」とか課題を決めて修行に打ち込んでました. アホです. マジで.
当時は, 学校でいくらでも unix が使える環境だったのですが, 知ってる emacs のコマンドは M-x mh-rmail のみ. 返信も, ショートカットの "a" を知らんもんだから, ずっと M-x mh-reply というのをミニバッファに打ち込んでました. それでも, 週に 1通くらいしかメールは来ないので, 全然オッケーでした. つうか, 週に 1回のゼミしか学校に来てなかったし.
白状しますと, 情報科学出身のくせして, 修士 2年まで grep 知りません でした. あ, もちろん入試に出るので正規表現とか bnf とかは 知ってましたよ. オートマトンとかね. 書けたプログラミング言語はパスカルのみ. あ. あと ix86 のアセンブラも書いたな.
てゆうか, マジで unix とか, 嫌いでしたね. だって, 思った通り動かないんだもんね. システムもむちゃくちゃ複雑で, 一体何がどうなってんのか判んないし. Virtua Fighter の方が全然面白かったのですよ. 私にとっては. だって, あのゲーム, 相手がビビってるとか, 迷ってるとか, 画面から伝わって来るんだもんね. いやあ. それにしても, 俺が 「後ろ P」とかアホなコマンドを 超反応で繰り出していた当時, Linux のバージョンはどれくらい だったのかなあ. そう考えると, あのアホみたいな集中力と金を 全部ポリゴンにつぎこんでしまったのは, 一体何だったんでしょう.
でもなあ. 当時, マジであの xlogin の窓みるだけで, なんかイヤーな気分になったもんです. なんであんなに嫌だったのかなあ. そう考えると, やっぱり学校/職場 OS って, 不幸だよな. Mac もバイトで使ってたけど, バイトとかで使ってると, 全然そのシステムを 好きになれないんだよね. 単なるカネづる. 学校 OS の場合は, 単位取得のための修行.
プログラミングの課題で, 動かないままのソースコードを 提出したこともある. バグですらない. そもそも動かないという. 数値演算の課題では, 多倍長の浮動小数点演算を実装した 俺のコードは, そこらへんの関数電卓よりも精度が低かった. 円周率が 10桁めくらいから循環小数になってやんの. しかも猛烈に遅かった. よく単位きたよな. これで.
そういうわけで, 私はもっぱらゲームとクライミングの日々を 送っていたわけです. こんなアホ丸出しだった(今でもそうですけど)私が unix に目覚めたのは, 修士論文を書かねばならなくなり, 自分のパソコンが壊れてしまって, 学校で emacs で latex のコードを全部書かねばならなくなってから でございましたよ.
ちなみに, Windows95 の発売とか, 全く記憶にありません. だいたい, パソコンなんか全然興味無かったしね. まあ, 今でも全然興味無いんだけどね.
emacs というエディタを本格的に触ったのは, それが最初でした. つまり, 修士もあと 3ヵ月で終ろうという時期です. なんつう美しいプログラム. 入念に作られたプログラムであろうか! と感服つかまつりました. シェルの使い方も徐々に覚えて来て, そうすると, ちょっとハマってきます. フロアに一個だけ SGI のマシンもあって, それを使って修士論文の図を作図しました. その頃には, window manager がコケたら, 別の端末から login して自分の ユーザプロセスを全部終了して logout する, くらいはできるようになっていました.
そうこうするうちに, 同じ研究室に居た奴が, ノートパソコンに FreeBSD をインストールして 使っているのを発見した. ちゃんと X も動いていて, なんつうか, コレにはたまげましたよ. だって, わしらの預り知らぬところで 動いていた, あの, 魔法と区別のつかない unix 様がノートパソコンで動くんですぜ. バレエの プリマ ドンナ が自分の愛人になるようなもんすよ. もうちょっと上品な言い方ないかね. 庭の照明にオオクワガタが飛んで来た. ちょっと違うな. 場末の古道具屋でダヴィンチの落書きを発見. まあ, なんでもええわ.
せっかく unix とプログラミングを勉強する機会がありながら, 全然何にもしなかった反省をこめて, 修士終了後, しばらくしてからアキバで中古のノートを買い, 友達に手伝ってもらって, それに Linux をインストールし, 現在に至るわけです. もっとも, プログラミングの方は才能ゼロにつき, 全くのタコのままですが. 所詮, 電卓に劣るコードしか書けない奴ですからね.
いやあ. 学校の unix の設定は, マジで魔法でした. いろんなホストに login しても, いつも自分のホームディレクト リが同じなんですよ. 使うパスワードも同じ. すげえ不思議でした. 今では仕組みが判ります. アレは NFS と NIS だったんですねえ. ホームディレクトリを NFS で共有してると, telnet とかアレやコレやであちこちのホストに接続しても, .Xauth を送ったりこねたりせんでも X のクライアントが こっちに表示されて非常に楽勝です. てゆうか, かなりザルでした. rlogin でパスワード訊かれなかったりしました.
しかしながら, 私は今でも, 汎用プログラマブル計算機というものへの 疑念を根深く持っているのです. ゲームに邁進していた当時, わしは, 自分を汎用プログラマブルマシンを 使うに値しないアホタレだと規定し, 「用途のキッチリ決まった計算機こそが役に立つんだ!ほーらみろ. Virtua Fighter はこんなに面白いぜ. あ? unix?ケッケッ. 失せな!」 であった.
こんなややこしいものを敢えて使わなければならない人は, 多分, 今のパソコンユーザよりも少ないはずだ. てゆうか, こないだ webmaster 宛に「ワードが全画面表示に ならなくなりました」という馬鹿メールを送って来た奴! なんでそんな奴が汎用プログラマブルマシンを使ってんだ! そんな奴はアプリケーションを rom 焼きで十分だ. スイッチポンで ワープロが起動. いつも安心の全画面表示. この手の人物には, OS は完全に不要である.
今はゲームなんか全然やらない私ですが, 「OS とか ファイルシステムとか, そういう仕組みを持ったものを 使っていい基準」というものがあったとして, 今の私は合否ギリギリですかね. え?不可ですか?勘弁して下さいよー. というわけで, 俺は「OS 市場」なんか, さっさと消滅してほしいのである. w2k ですか? ありゃ戦艦大和みたいなもんでしょ. 「よくぞ作った. こりゃスゲェ. でも要らない」みたいな.