書評:UNIX という考え方


グラフィカルな

grep が欲しいと思ったことはありませんか?

いや, グラフィカルってのは, マウスメニューボタン方式という 意味ではなく,

grep 顔 *jpg

とかそういう意味です.

無茶言うなって? ええ. そうなんですが. ん? AI complete 問題ですか? 笑.

UNIX という考え方

という本がある. 訳書だ. w.l.o.j のブックレビューコーナーでも, 第 47回のレビューでとりあげられているのである.

unix は, 今ではその特性がいろんな OS に取り入れられて, 表だった特色というものが, すこし取り上げにくいシステムとなっている.

また, いろんな派生種があり, それぞれけっこう特色を持っているところも, 「unix とは」といった話を難しく している原因となっているかもしれない.

この本は, そういった表面上の違いを越えて, もうすこし抽象的な, あるいは, 本質的な, 「unix 的な問題へのアプローチと, その背後のコンセプト」 みたいなものを, 具体例を挙げつつ紹介する, という本だ.

ところで, このコーナーの記事を読んでいる人なら, わしが時々紹介する unix 本として Kernighan と Pike の 「UNIX プログラミング環境」 があるのを憶えているかもしれない. UNIX の作者が書いた, unix 哲学本として, わしがもっとも好む本である. そう. Kernighan は K&R の K ですね.

ズバリ. それと比べて, この本はどうなのよ? というところを今回は書いて行きたい.

まず, 「考え方」と「環境」の大きな違いは, 「考え方」にはコードやコマンドの具体例がほとんど出て来ないというところ. これ自体は一つの著者の見識であり, 読者を広く想定する場合は, プラスに評価したいところだ. ただ, 例えばこの本は書店に並んだ場合, 「unix 関連」の棚に行くだろう. その棚の本を見るユーザ層には, どういう印象を与えるだろうか? 私としては, 若干物足りなさを感じた. K&R や「環境」に出て来るコードやコマンド例は練りに練られたもので, 時として, 地の文章以上に雄弁にコンセプトを物語っている. そういうコードを書ける著者, あるいは, そういうコマンドを打てる著者のものした文章, というところに, 権威に弱い私などはグっと来てしまうからだ. 笑.

他方, OS はコマンドで使うもの, という意識皆無の 通常の人々には, コマンドやシェルスクリプトの例が無いというのは, 肯定的に評価されるはずだ.

私が「環境」に不満を持っているとすれば, 書かれた時代が古いので, どうしても内容が猛烈に古いところがあることだ. 例えば, 今, 同種の本が出版されるとしたら, ネットワーク関連の話が全く出て来ない, ということは, ほとんど考えられない.

同様に, Perl やその他のスクリプト言語が作り出す環境も, 無視できないはずだ. /bin/sh ではできかねる, 面倒なフィルタ的処理を実装した Perl の 一行コードとか.

今, このテの本を出すとすれば, その辺をフォローアップしたものを 私としては期待してしまうだけに, 内容的には「環境」のサブセットになってしまっている「考え方」は, やや残念である. もっとも, これはかならずしも欠点ではない. 内容は盛り込めば良いというものではなく, むしろ, そぎ落とす事にこそ その要点があるわけで, 150ページ前後のボリュームにコアとなる unix のコンセプトを 具体的に述べたということ自体, とても素晴らしい. なんせ, 「環境」ときたら, その 3倍くらいの分量があるんだから.

しかし, unix 的アプローチの成功例として出て来るのが MH ってのが, 若干. なんつうか. ここは automake にして rewite して欲しかった気もするが, そうなるとコードの例が避けられないだけに, これで良かったのか.

つうわけで, 結論. 「環境」を持ってない人は, 買い. 持ってる人は, 立ち読みでオッケー.


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