また小笠原いってきた。今回はかわいさんの勧めで母島。
朝、船で出発。 自転車2台持っての移動が朝8時の電車というのも無謀だが、 うちの駅は始発列車があるので、じつは意外とそれほどでもない。 浜松町で組み立てて、荷物しょって桟橋まで乗って行く。
ちょうど梅雨前線を横切っていくことになるので、 東京湾を出たらすぐに大きなうねりがでた。天気は曇。 乗船してからは、レインボーブリッヂを通りすぎるまでは起きていたが、 そのあとはだいたい寝ていた。 あまり船は混んでおらず、2等船室の床で大の字で寝る。 妻は船酔いのぐあいが悪く、食事ができなかった。 俺もあまり具合がよくなく、前日買った菓子パンと、船の食堂でラーメンを食べた。 疲れが残っており、消灯を待たずに気絶した。 小笠原丸は6700トンの高性能大型船で、通常航行が22から23ノットという高速だ。 時速に直すと41キロから43キロというところだ。 だから、海を見ているとあまりスピードが出ていないように思えても、 甲板に出るとかなり風がある。
妻がしらべてきたのだが、 翌日の朝にブリッヂとエンジンをみせてくれるという見学ツアーがあるという。 二人分申し込んだ。
朝起きると全ては水平線の彼方だ。 台風のせいか、けっこうな横風とうねりがある。 かなり強力な台風で、一時は中心気圧が920までいったというはなしだ。
朝9時から見学ツアーはスタートだ。 双眼鏡やらカメラやら一通りの玩具を持って集合する。 まず機関から。スクリューは可変ピッチの2軸。エンジンはV12を2基、 舵機も2基装備。 監視操作する部屋の隣は吹抜けの大部屋でそこに機関がある。 気温50度。 騒音と濃い油のかおりとうねりで、さすがにあまり爽快とは言いがたいところ。 プロペラ出力の軸がぐるぐる回っているのも見えた。
そのあとブリッヂにあがる。 日本無線の機器類が並び、机に海図が広げてあり、 ジャイロコンパスが方位を表示している。 レーダーのスクリーンは巨大なベクタスキャンで、これもかなり萌える。 レーダー、GPS、ロラン、無線は全部JRCだった。 窓枠にニコンの7x50IF防水の普及グレードの、 色が剥げて黒く塗直したやつ。 さすがにここは見晴らしが良い。
昼頃ムコ島列島がみえてくる。 カツオドリが出迎えてくれるのもいつものとおりだ。 そして昼過ぎ父島着。 今回は母島に行くので、 30分ほどの乗り換えであわただしく母島行きに乗る。 母島丸はずっと小さな船で、おりからのうねりでかなり揺れた。 これで妻はゲロ寸前までいったそうだ。 母島まで約2時間。着は午後3時すぎ。 合計28時間少々。 さすがに乗ってるだけで疲れた。 上陸すると、逆に足元が揺れている感じがする。 宿で夕食をとるまでこれがぬけなかった。
今回の宿はかわいさんに訊いて、個室があって食事が良いという La Mere (ラ メーフ)というところだ。 この島は、港から徒歩3分くらいのところに人間的なものの全てがある。 島にはスズメもカラスも居ない。 スズメの代わりに居るのはメジロだ。メジロはかわいいな。 母島の鳥というとメグロだが、どこに居るのかね。
宿の裏の林の鳥の無きごえで起きた。 メジロの他にウグイスとメグロが来ていた。 森や林の中で見掛ける鳥は、この3種類の他にイソヒヨドリと、 オガサワラヒヨドリの5種類だ。少ないし、見間違える事もまずない。 ここのメジロは大きい。 普通のサイズのも居るが、大きいのはスズメくらいある。 なんせウグイスより大きい。
ウグイスが非常に小さい。 ウグイスは、なんだか、使い込んだバドミントンのハネみたいな感じで、 カワイイのだがちょっと貧相なかんじだ。 鳴き方もすこし変で、 「ほー、ほきょ。」 だったり、ダミ声だったり。 林を歩いていると、手を伸ばすと届きそうなところまで来る。
また、どの種類も全般的に警戒心が薄く、飛ぶのも下手だ。 大人の鳥が、 枝移りで葉っぱにつかまろうとして滑べってずっこけたりしている。 どこに居るのかすぐに判るし、すぐ近くまで寄って来る。 標準レンズで普通のサイズにとれるくらい寄ってくる。
遊歩道にはときおり水ポリに樹木の幹からヒモが垂らしてあって、 そこに雨水が貯めてあり、横に水盤があって、 「小鳥の水場」という看板がたっている。 水盤が乾いていたら水をいれてあげるという趣旨なのだ。 「ふーん」とかいいつつ見てると、既にそれを察知したのか鳥がたくさん集まってきている。
水盤に水を入れて数歩あるいてカメラをいじっているうちに、 やってきた鳥たちが水浴びを始めた。
南崎はその名の通り、母島最南端の岬だ。サンゴがよく発達しており、 周囲に小島がたくさんあって、複雑な潮流のおかげで魚も多い。 島にはカツオドリの営巣地があり、肉眼でも斜面に雛が親と一緒に居るのが判る。
ここでシュノーケルで遊ぼうと思っていたのだが、 うねりの波がひどくて泳げない。 水も砂が舞上がっててダメな感じだ。 他の浜にも行くが、同様で、今日は泳げず。 しかし、鳥を見てると非常に面白かったのでよしとする。
戻って港でおよぐ。
どうも台風が去るまでは海は難しい情勢なので、 街の裏にある母島最高峰の乳房山を登ってみる。マウントオッパイである。
宿でおべんとうを作ってもらい、水をたくさんと、でかいレンズを持って出発。 熱帯ジャングルの登山道はよく整備されており、 いろんな木の間を歩いて行くのは楽しい。 時々小鳥の群れと遭遇する。 鳥が近すぎて望遠レンズの焦点が合わない。
しばらく登ると、 海の向こうから1000キロ以上離れた台風の起こす大きな波がやってくるのが見える。 いわゆるうねりという現象だ。 これが磯や岩礁でものすごい白波をたてている。 母島の山の方が父島の山よりも標高が高く、 気候もやや立体的だ。 登り始めはうだるような暑さだが、尾根のあちらとこちら、 あるいはあるいはある程度登ったところでは、けっこう涼しい風が吹いている。 上空に雲がかかるとしばしば軽い雨にもなる。
そんな上昇気流をとらえてオガサワラノスリが帆翔していた。
このコースでも、小鳥の水場をみかけた。尾根筋なので、近くに自然の水場もなく、 すぐに鳥がやってくるのはあいかわらずだ。 メグロとメジロがたくさんやってきて大騒ぎだ。 うはは。 すげぇかわいい。
メグロは図鑑をみるとミツスイ科となっているが、 近年の研究でメジロと近縁だと判ったそうだ。 林の中でつがいが互いを呼び合う様子がとても魅力的だ。
島の全貌を掴んでおくのも必要だろうということで、 自転車乗って島の北端にもでかけてみる。 宿泊場所は南から1/4くらいのところの、島内唯一の街だ。
母島はけっこう山がちで、ほとんど平地がない。宿を出るといきなり、 民間人ではまず自転車で登る気にならない強烈なコンクリ舗装の傾斜である。 最大は20パーセントくらいか。
大部分は3m道路で時々退避帯が設置してある、いわゆるひとつの林道だ。 なかなか眺めも良い。ときどき強烈に暑い。 良い風が吹く区間もある。 森のなかで涼しいところもある。 トンネルが二つあって、島の北端に到着。1時間弱の行程。
島のこちら側にはうねりが来ていないので、海は透明だ。 10mくらい下の底がはっきり見え、 ちょっと奇妙な高所感覚を味わえる。 落ちても助かる高所だ。 北港は昔、集落があったところなのだが、 敗戦後20年放置された結果、その間に集落はすっかりジャングルに戻ってしまったという。 小学校跡も巨大なガジュマルが繁茂して、ちょっと見ると全く面影もない。 しかしたった20年でこうなるかね。 屋久島並だな。
途中、戦蹟などもあるのだが、あまり興味もないので素通りし、 写真など撮りつつ元の街に戻る。昼飯食って、港付近の海岸でシュノーケルで遊ぶ。 青くてでかいブダイが居た。20cmくらいの鰺の大群が居た。 うねりであまり水が透明でなく、泳ぎにくい。
夕食後は海亀の産卵をみにいった。
天気図を見ると台風はよそに行ってしまったので、今日はけっこういけそうだ。 シュノーケルの道具、カメラ、全レンズ、三脚、ラジオ、アンテナ、水2Lを担いで 自転車で移動し、遊歩道を30分歩いて南崎の浜へ。
浜から一歩林にはいったところに休憩所が設置してある。 そこに荷物を置いて、頭上を覆う大木の枝にアンテナを投げてひっかけてラジオに接続。
この浜はいきなりずっと珊瑚で、 50mくらい沖は10mくらいの深さで巨大なテーブルサンゴが幾つもあり、 そこに大きいのや小さいのがたくさん隠れていてとても面白い。 耳の圧力を調整しながら何度か潜る。 うまく調整すると「きゅうぅ」と空気が通る音がして耳の痛いのがおさまる。 顔をまっすぐにしたほうが、 左右均等に調整できるようだ。
ここは誰も来ないし、風景は良いし、休憩するところは快適だし、 いうことないな。昼メシくって昼寝して、また潜って午後4時まで居た。 明日も来る事にした。
昨日と同じ。
泳いでたら鮫が来た。1.5mくらいのやつ。
鮫の泳ぎの優雅さというのは独特ですね。 時々獲物を捕まえるために素早く泳ぐのだが、その瞬間の動きはまるで電撃のようだ。 このメリハリがなんともおっかない。
やってきたのは、ネムリブカという、よく小笠原に居るおとなしいやつである。
じつは港にもいっぱいこれが居て、2m以上あるのも居た。 港に2mの鮫が居るとはまこと母島おそるべしといえよう。 そんなの「コナン」の話の中だけだと思ってたよ。
宿が鉄骨なので室内でラジオが全く聞こえない。 そこで、宿の窓から裏の林にアンテナを投げて、なんとか電波をとらえているのだが、 その林にはメジロ、ウグイス、メグロがよく来るんだ。 このアンテナを回収しようとしたら、林が不自然にガサガサ揺れるのに気づいた メジロが、好奇心いっぱいで釘付けになっていた。
そして、ピーピー鳴くわけです。すると、仲間も 「お?何だなんだ。どうした?」という調子でたくさん集まってきた。 メジロの他にメグロもウグイスもやってきて、 アンテナの周囲で、もう大騒ぎだ。
今日も南崎に来たが、次の台風の波で泳げなかった。 しかし、もう戻るのも面倒であるし、居るだけでけっこう愉快なので、しばらく居た。 午後は移動し、港周辺で泳いだあと、妻は昼寝するというので俺は自転車を乗りにでかけた。
あと5分か10分も乗れば終点というところで、 前が石コロ踏んでパンクして、カーブでぶっとんだ。
強烈無比な擦過傷をおったので、 転倒から起き上がってもうまく息をつけない状態になった。 なんだこれは?ショックか? とりあえず水を飲んで意識的に呼吸したら少し落ち着いたので全身のチェック。
頭は打ってない、大丈夫だ。 擦過傷はしょうがない状態だが、ひどい感染でも起こさぬかぎり、 これで死ぬ事はあるまい。 右肩は、どうも鎖骨が折れているようだ。うまく動かない。
こうなった以上、引き返すしかない。それなら早い方がいい。 すぐパンク修理だ。骨折の痛みが出て腕が動かなくなってからでは遅い。 しかしさすがに右腕に全然力が入らないのでパンク修理といっても簡単ではない。 今回助かったのが、ポンプではなく炭酸ガスボンベを装備していたことで、 空気を入れるという一番大変な作業がボンベのバルブ操作一発で終了した。 これがポンプだったら再び走れる空気圧にするのは不可能ではないにせよ、 かなり大変だったと思う。
頭上ではメグロが警戒声で何か怒っている。 はいはい。すみませんね、すぐ帰りますよ。そんな怒るなよ。
落車したのは下りなので、いきなり登りですよ。まじですか。しばらく乗るとなんか変だ。 サドルが右むいとる。先はまだまだ長いので一旦降りてまっすぐに直した。
峠を過ぎて下り。右腕がほとんどつかえないので、左手ブレーキかけたまま下る。 そしたら、サドル下の工具がバラけやがった。右腕に力が入らないので、 うまくサドル下にくくりつけられなかったのだ。 しょうがないので工具を拾い集めていると、パトカーが来た。 工具がバラけて萎えていたところだったので、自力帰還は諦めて、 乗って帰るのに切替えた。 必殺ヒッチハイクの要領で道路のまんなかに立ち塞がって停める。 何か緊急の用が無いんなら、骨折ったんで診療所まで連れて行ってくれ、と頼むと 快く乗せてくれた。自転車もバラしてトランクにつっこむ。
車内でおまわりさんが、診療所の先生に電話をしてくれている。 「今から鎖骨折れた人を連れて行きますから、準備お願いします」 みたいな事を話していた。
診療所で傷の洗浄をした。 痛みというよりはむしろ電撃で我慢できるものではなかった。
その夜は熱が38.1度でた。肩が痛くて眠れないので痛みどめを服用した。
さすがにねてた。
擦過傷の閉鎖療法の優れているところは、 治療中に痛くないところだ。 自転車で転ぶと尻がずるむけになるのはよくあることで、 これが痛くてしばらくねがえりもうてないものだが、 今回は、これがほとんど痛くなかった。スゴイ!
ちょっと散歩した。
海ガメが卵を産んでいた。
だいぶ具合がよくなった。
ネイチャーツアーといって、小船で島のまわりをあちこちみてまわり、 時々シュノーケルでもぐってみるという企画に申し込む。 俺はさすがに潜ると傷を魚に突つかれたりしそうだが、それも嫌なので 船の上で写真をとっていた。 右手をシャッターボタンの位置まで上げられないので、 レリーズを下に垂らしてシャッターをきった。
島の周りを船であちこち行くのは面白い。南崎と鰹鳥島の間の大瀬戸は、 ものすごくでかい沢みたいな潮流があってド迫力だ。 あんな潮流に捕まったら、ひとたまりもない。
戻って昼寝したあと、荷物を発送し、夕食まえに日没を撮影した。
朝いちばんで診療所に行き、経過をみてもらって密閉バンソーコを新しいものととりかえてもらった。
長かったような、あっというまだったような。
出発時に宿のご主人に自家製非売品のパッションフルーツのジャムをわけていただく。 いやーこれが本当にうまいんですよ。 でも作るのがものすごく大変なので、売るほどはとてもじゃないが作れないという逸品。 しばらく朝食が楽しみだ。
母島を出てすぐ、船をイルカが追いかけてきた。
父島でおみやげを買い足して、小笠原丸に乗船。 妻が、「怪我人が居るので良い席をくれ」と交渉すると、 2等船室の席を4人分くれた。 天気が良いので甲板で過ごす。 イルカが何頭か現れた。 ケータ島の少し北で、アカアシカツオドリが一羽やってきた。 船のへさきで帆翔しながらトビウオを捕っていた。 カツオドリの尾羽は急旋回には向かない形状なので、 それが原因で何度か捕り逃していた。
けっこう日没は綺麗だった。
行きの船ではぐるぐる状態だった妻も、帰りは慣れたのかけっこう元気だ。
早朝は少し揺れたが本土に近付くとそれほどでもなくなった。
すぐ以前鎖骨を治したときに世話になった病院に行った。 医者は「こりゃどう見てもシリツですよ、シリツ。」と最初は言っていたが、 レントゲン撮り直してみると離れて食い違ってたた骨が 今はけっこうまっすぐ並んでいるし、 「俺、普通の倍のスピードで怪我とか治るんだーぜー。 まえもここで4週間で治してもらったんだよ。すげぇダロ」みたいな話をしたら、 保存的治療でいくことに決定。