大谷不動(2007/02/10-12)


前段

JECCで大谷不動にいった。

メンバーは溝淵さん、吉川さん、小川さん、わし。 溝淵さんは、JECCの元代表にしてMIZOの創業者でもあり、 とりわけ今回でいえば、大谷不動というエリアの開拓者でもある。 ガイド本に掲載されているように、このエリアのほとんどの滝に 初登攀者として彼の名が残されている。 開拓当時のこのエリアには当時の日本の氷壁登攀技術の最先鋭を担うルートが揃い、 登攀技術の先鋭化においても、また道具の開発においても、 大いに貢献のあったエリアなのである。

隣の沢には米子不動があり、そちらは100m以上の垂直の氷柱が一本、 ズコーンとぶっ立っているルートばかりで、登ったあとの退却すら並大抵ではなく、 現代においても容易にとりつくことも許されないというレベルを維持している。 それに比べるとここは、50mが2本とか、50m + 30m などの構成のルートが多いので、 わしのようなヘタレにもまだ手が出せる、中級者向け(米子不動比で)のエリアである。 近年、アプローチ状況が改善されたこともあり、 腕におぼえが多少出てきたくらいのレベルの比較的多くのクライマーを迎えているようだ。

大谷不動に行こうと言い出したのは小川さんで、 彼は去年から「行こう行こう」としきりにわたしにささやいていたのだが、 吉川さんが「大谷不動といえば開拓者の溝さんと阿部さん(前代表)でしょう」となり、 このほど機運が満ち、阿部さんは残念ながら予定が合わなかったが、 この面子での飽食宴会と氷壁登攀パーティーとなった。

結論からいえば、内容も非常にすばらしく、また独特のアプローチも楽しいので、 週末2日使えるなら、 八ヶ岳なんか行ってないでこちらに行くべき。 ただし、初心者向けのルートは存在しない。

アプローチ

自家用車で前夜発。 私と小川さんはいつもの八王子で待ち合わせての小川号。 吉川さんは溝淵さんを乗せ、上信越道の東部湯の丸SAで2台は合流。 上田菅平で高速を降り、北上して峰の原高原スキー場駐車場で車中泊。 さすがに長距離の自家用車移動のため、全員すぐ気絶だったようだ。

翌日は7時に起き、麓のコンビニで少し食糧を仕入れたあと、 スキー場リフトに乗る。一瞬「ヤマ装備の奴は乗せない」などと問答があったが、 「スキー持ってるからスキー客だ」という事になり無事乗ることができた。 スキー場関係者の対応に、やや疑問を感じもしたが、 どうやら自分たちはスキー場側にとってどういう存在なのか、 というあたりをよく認識できていないクライマーの存在を 背景に感じる場面でもあった。

大テント、宴会食糧、登攀具を持って革の登攀用登山靴でスキーというのが、 かなり核心だった。 足首が非常に柔軟なので、 なんせ全くエッヂが効きません。 前後のバランスポイントも1点しかない。 だからコケまくりです。 しかもザックは一旦膝に乗せないと背負えないくらいの重さがあり コケたら自力で起き上がれない。 吉川さんは即座にスキーを外して徒歩に切替えていましたが、 私は元、スキー大会優勝者の意地(笑)が邪魔して 体力を無駄に消耗してしまいました。 もうヘトヘトの汗ダクです。 私と溝さんは登攀用登山靴でのスキーでしたが、 溝さんはそれでもけっこうちゃんとスルドい滑りを見せていて、さすがです。

林道に降りてからは、快適なシール歩行です。 私はこのあたりで右足かかとが靴ずれになってきて、 それをかばって歩いていたら左足を軽くヒネってしまい、 いきなり初日から先行きの思いやられる展開。 スキー場から約2時間の行程で目的地に無事到着。 早速整地してテント場を確保し、豪邸を建築して登攀具を整理し、 小川リーダーの判断で今日は不動前滝へ。

溝さんは北辰、北斗、試作北斗の3本装備。北辰には自作リストループ。 北斗2本はリーシュレス。試作はニギリの角度が市販品と異なり、 またピックが薄くて北辰に近い設計。 吉川さんはいつものクヲーク2本クリッパーつき。 小川さんもいつものナジャ2本。 私も、いつもの北辰2本である。

10日の登攀-不動前滝

不動前滝は50m強の登攀距離が一本の、見栄えのするルート。 最初30mが傾斜のある坂、最後20mが垂直で、 八ヶ岳の大同心大滝が2倍くらいになったような構成。 我々がきた時には先行が1パーティーあり、それが左の易しいラインにとりついていたので、 右から行くか、ということに。 ピンを8本持って私がリード。

下30mは、なんとか立てる傾斜だが、 タイミング的に、先行パーティーのリードがちょうど垂直部にかかったところで、 それが落す氷が非常に危険で、 これをかわしつつ登るのはかなりシビアだった。

落氷安全地帯に脱出した、と思ったらそこは20mの垂直部のはじまりで、 上を見たらゲンナリするほどの規模。久しぶりに味わう感覚。 カウンターバランスを使って腕力を節約し、 右の岩にステップを拾って傾斜を殺しながら半分ほど登ったところで、 プロテクション工作のため一旦アックステンション。 前半30mのスケールが効いてか、意外と腕にきてしまった。

じっくり下を見ると意外と高度感もある。 けっこう暑くて、サングラスが雲ってどうしょうもないので、 頭の後ろにまわした。 もう汗ダクだ。 午前中のアプローチですっかり体内の水分を使い果たしていたため、 脱水がひどく、さすがに調子が出ないので、 アックスにブラさがったままツララを割り取って食べた。 これでだいぶ元気が出て、 そのあと抜け口手前でもう一本プロテクションをとり、なんとか完登した。 もうイッパイイッパイで、久々にリード墜落を覚悟したが、 途中、あまりアイスピトンが効いてないのは自覚していたので、 久々にキナくさいアイスクライミングだった。

吉川さんをフォローで迎える頃、 左ルートを登っていたパーティーが下降したので、 そこを小川さんがリード。溝さんがフォロー。 この頃から大変な人数がこの滝に押し寄せてきて、 まるで南沢大滝みたいにロープがスダレ状態に。 けっこう名の通ったクライマーが多数来ており、 私の登ったラインをあえて選んで余裕で登り切っていたパーティー(名前失念)は、 谷川岳のエボシ氷柱を登った方だそうな。 皆さん、非常にレベルが高いです。 八ヶ岳なんかでよくみかける、一歩登るのに10回くらいアックス振り回してるような、 ヘナチョコは全く居ません。

全員が登ったところで、 さっさと宴会しましょう、宴会、宴会、宴会! ということで、さっさと帰還。 溝さんの自作クランポンはモノポイントが70mmくらいあり、 脇出歯が左右に2本ずつ出ている構成で、 傾斜のつよい氷に特化した設計で、明日はこれを借りて登る事に。 うっしっし!

宴会

ふんだんにガソリンバーナを焚きながら、 吉川さんが仕込んで来たキムチ鍋で宴会です。 酒は小川さんがウォッカ、各種ビールを、 溝さんがウィスキー一瓶をペットボトルに入れて持参。

いつもの事ですが、非常に食事はおいしかったです。 ごちそうさまでした>吉川さん。

溝さんのアイスアックス製造にまつわる話しや、 クラブ運営の方針と存在意義など、 いろんな話題を話しつつ夜は愉快に更けていくのでした。

最後に小川さんがグルグル状態になってしまったところで、お開き就寝は 11時頃だったでしょうか。 リーダー沈没につき、 翌日は起きた時を起床時間とし、 ナベにウドンを投入して朝食とする予定です。

11日 不動裏滝

起きたら9時でした。

小川さんはあいかわらず死亡中。 全く食事できない状態です。 ゲロはいたあとは、一瞬爽やかな表情になり、 これはそろそろ出動可能か?と思わせるのですが、 間もなく顔色が再び悪くなり、気絶する、というのを繰り返しています。

溝さんと吉川さんは今日で帰るので、 登攀時間を考え3名で不動裏滝へ向かいます。 ナメ滝F1も一応ロープを出します。 ここで吉川さんと溝さんが石を叩いてしまい、 溝さんの北辰は先端が欠けてしまいました。 F2下で少し研ぎ直して、右ルート(垂直20m)を登ることに。 下部1/3ほどを吉川さんがリードし、溝さんに交替。 溝さんのリードを見るのは私も初めてです。

まず、溝さんはリードでも全く落氷を出しません。 それから、毎回、必ず1発でアックスが刺さります。 刺し直さない、壊さない、これです。 ヒザを細かく右、左にひねり込むことでリーチを稼ぎ、 腕力をセーブしつつ登って行きますが、 一つ一つの動作が的確で迷いがないため、 登攀速度がものすごく速いのです。 私もここまで彼の登攀スタイルを目指してやってきたわけですが、 もう、全然お話しにならないくらい違いますね。

私と吉川さんがそれぞれ一本ずつロープにブラさがってフォロー回収。 その頃、復活した小川さんが溝さんの登りを見たい一心でF1をフリーソロで登って やってきましたが、タッチの差で間に合わず無念残念。

一旦全員でキャンプに戻り、荷物を振り分けた後、 溝さんと吉川さんを見送ります。 私と小川さんは明日に備えて本流エリアを偵察することに。 本流エリアは多くのクライマーを迎えて、 今日は大変混雑していたようです。 ここらへんは50mオーバーの巨大氷瀑が徒歩5分内外に林立していて凄いところです。 明日も混雑が予想されるし、また帰宅する日でもあるので、 朝早く出動することにし、主なルートの偵察を終えてテントに戻ります。 夜はフリーズドライで簡単に済ませ、明日は0430起床ということにして、 早々に就寝しました。

溝さんと吉川さんはわずか1時間でスキー場に戻れたそうです。 速すぎ。

12日 本流二ノ滝 三ノ滝

予定どおり4時半に小川さんが起床、私も起きます。

必殺餅ラーメンの朝食ですが、ラーメンが「中華三昧」なので、 かなり贅沢な感じです。小川さんは昨日を棒に振ってしまったせいか、 今日はかなりヤル気を感じます。 私は、昨日も背中の筋肉痛であまりよく眠れませんでした。

5時には食事が終ってしまい、まだ世の中まっくらけで、身動きとれません。 お茶をこしらえたり、あれこれやっているうちに 6時頃になり、薄明とともに出発しました。 登攀開始は6時半。滝の基部に私がバケツを掘って、長ピトンでセルフビレイとし、 小川さんをビレイします。 昨日みたところでは50mのうち下30mが垂直に見えましたが、 下に着いてみると、そんなことはなくて、普通に登れそうな傾斜です。 小川さんはいつもの調子で確実に中間支点をとりながら快調に登って行きます。

私はフォローからそのまま2ピッチめにかかります。 一見楽勝だと思いましたが、非常に狭いカンテ状は意外と悪く、 高度感にもビビって、あまり楽勝ではありませんでした。 左岸の木でビレイし、小川さんを迎えます。 この上には30mほどの三ノ滝があり、これも登って今日は終了です。 登攀終了時刻9時半。3時間半でした。

二ノ滝の懸垂は、1ピッチで届きそうにも思えましたが、 下が届いているかどうか、全然見えなくておっかないので、 2ピッチに切る事に。上の懸垂支点から1ピッチめの支点までは、 かなり斜めなので、ある程度降りたところで必殺の振り子トラバースです。

1ピッチめの支点にうまくたどりつき、セルフビレイをとって、 余ったロープを懸垂支点に通しておきます。この支点にはヌンチャクが一本 残置されていましたが、さすがの小川さんが、帰りにこれも回収してきました。 最後に私が1ピッチめ回収時に詰まった氷を抜くときに落したピンを拾って、 帰還。

登攀具を整理し、テントを畳みます。 ダンロップのテントの袋はけっこう大きくて、 凍り付いたテントも問題なく収納できました。 さて、スキーをはいて出発です。 行きで懲りたので、傾斜があるややこしそうなところは前もってスキーを脱いで、 歩きます。

林道からは、大谷不動の各滝が遠望できます。 「さーらーば おおやふどうー またくるひまでー」って感じですな。 スキー場への登り返しはさすがにしんどいものがありましたが、 意外と短くて、90分でスキー場に戻りました。 お茶でひと息ついて、 さて、ここからはスキー場を荷物しょって滑降です。 一本滑べるうちに徐々に掴んできて、しまいには登山靴に大荷物で、 パラレル ターンできるようになりました。 しかしながら、一本すべっただけで腿も膝もガクガクです。 いかにLangeに頼って滑べっていたかを思い知らされました。

核心の帰宅行

帰りは 須坂市のはずれにある「湯っ蔵んど」で温泉にはいって、 小さい温泉センベイがたくさん入ったのを買い込んでポリポリ食いながら、 ゆっくり中央道から帰ったわけです。 ところがこれが実は今回の山行の核心でした。

双葉で給油しようとしてサービスエリアに入ったところで、 トランスミッションが壊れ、ギアがはいらなくなってしまったのです。 必殺のJAF牽引で甲府に移動、整備工場に預けてタクシーで駅まで移動したところで、 東京行きの電車は終了。大月までしか行けません。 大月からタクシーとばして八王子でなんとか終電をつかまえ、 なんとかその日のうちに(まぁ日付は変わっていましたが)うちに帰れました。


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