伝説の滝沢第三スラブ、通称三スラを吉川さんと登った。
クラブ(JECC)の集会で、吉川さんと 三スラの話しをちょっとする。 話しもするが、基本的にあまり相談するような事が無かった。
このルートの要点は、「とりつく気になれるかどうか?」である。
三スラのルート中にある一つ一つの課題は、 現代の登攀装備と技術をもってすれば本質的問題とはならない。 ならば、なぜ現代においても三スラは「歩いて登るにはちょっとキツい坂」に堕することなく、 なお伝説のルートとして存在し続ける事が 可能なのであろうか?
通常のルートであれば、技術的な障壁の突破に失敗しても、 最低限の安全は確保されており、やり直しや撤退が可能だ。 しかし、三スラでは違うのだ。
問題は、登攀距離は15ピッチ以上、約800mのルート中にまんべんなく存在する、 不確定要素の高い諸々の課題の全てをミスせずに片付ける事ができるかどうか、 というところにある。 もう一度言おう。ルート中の課題は全て、ミスなく解決されねばならない。 なぜなら、最低限度の保証、生命の安全の確保が不可能だからだ。 墜落はおろか、ちょっとしたスリップ、あるいはよろめきすら、 これを止めることができるような支点はルートの終了点まで存在しない。 どこかでミスしたら、そこまで登った距離だけ墜落する。 支点がとれないから下降もできない。 その上、外的危険要因もある。たとえミスしなくても、 雪崩が出たらアウトだ。 一旦登り始めたら、完登するしかない。 これが、 本谷からドームまでまっすぐ突き上げる美しさと共に、 三スラをして未だに特別な存在たらしめている理由である。
要点は各個人がこの事実を受け入れる事ができるかどうか、 というところに存在するのである。だから、 「行くとすれば3月初旬になるだろう、 最終的には天候と雪の状態で判断する」という事を確認する以外に、 相談するような事はあまり無いのである。
このルートを登ろう、と言い出したのは吉川さんである。 彼は三スラの隣に位置する滝沢リッヂも数年まえに登っており、 三スラ自体も秋に一度登っている。 最もよくこのルートを研究、熟知しており、情熱をもって取り組んでいるのが吉川さんである。
私は単にその尻馬にのっかって「わーい三スラ三スラ」と騒いでいるだけの、 いわばお客さんだ。 だが、計画に主体的に係わろうと、お客だろうと、 重力は差別しない。
いよいよ今週末の出発をひかえ、 彼から、装備や天候のゆくえなど、最低限の連絡事項だけが書かれた、 それでいて気合いの入ったメールが届く。 私もそれに触発されて白山書房のガイド本の当該ページを開き、 これを暗記し、 装備を買い整え、 金曜からはメシをたくさん食べてエネルギーを蓄えた。 買い足した装備は5mmのヒモとフリーのカラビナ8枚、 それに肩からかけるギアラックである。 登攀用具があてになるルートではないが、 道具を出したりひっこめたりを、ストレスなく素早く行える事は、 ミスの軽減に、ひいては安全確保に繋がる。
アイスアックスは、岩を叩く公算が非常に高いので、 アルパイン用に北辰を2本用意した。 一本は以前から使っている、ピックが短くなってしまったやつ。 charlet の clipper を取り外し、 穴はビニールテープで塞いで在来型の捻り式リストループをとりつけた。 もう一本は小口さんの遺品で、こちらはハンドガードを切りとばし、 グリップを巻き直した。
また、珍しく行きのコンビニではなく昼間に近所のパン屋で 食糧を買い込んだ。 久々にちゃんと主体的に係わった山である。
3月3日、午後7時半すぎに、吉川号で我々は谷川岳に向けて出発した。 谷川岳ロープウェイの建物は暖かいが、 クライマーが宴会やっててやかましいので水上道の駅の駐車場で寝た。
2時起床。オニギリ、リンゴジュース500ml、クレープで朝食。 ロープウェイ駅に移動し、装備を確認して出発は3時20分。 気温7度。
指導センタで計画書提出。箱に入っている他の会の計画書も見るが、 三スラのは無し。
一ノ倉であい4時。途中の林道は、 いつでも除雪開始してさしつかえなく、 あっというまにクルマが通れるようになりそうな積雪量。 「もうフキノトウとか出てるかもなw」とか言いつつ。 今日は満月だ。山並が樹々の間から見える。 一ノ倉出合い手前で昨年亡くなった吉川さんの知合いに、一瞬黙祷。
出合いの光景は衝撃的だった。林道が出ており、 沢も流れている! この雪の少なさでは、滝沢下部からスラブに上がれないかもしれない。 ハーネスをつけ、ヘルメットをかぶって一ノ倉沢に入る。 眼の前に広がる雪をかぶった圧倒的な岩壁はいかにも恐ろしい。
歩き出すと、雪は非常に締まって安定していることが判った。 今週、ずっと天気が良かったせいだろう。 これなら滝沢下部さえ問題なければ、うまく登れるかも知れない。 先行が3パーティーほどある。うち2パーティーは3スラらしい。
滝沢下部はちょうど八ヶ岳の南沢大滝くらいの規模と傾斜だった。 無論、登れないことはないが、荷物持ってのアルパインという事でいえば、 そして確実ではない支点類を考慮すると、これは一つの悪夢である。 とりつきで、「どうしよう…」ということになったが、 先行は、やるみたいだし、 正面のチョイ右は少し規模が小さく傾斜も無いように思われたので、 そこからとりつくことに。
あまり取り付く事に気乗りしない様子だった吉川さんだが、 自分に喝を入れるかのように、一ピッチめをリード。登攀開始6時頃。
私とトップを交替する頃には明るくなっていたので、 若干シビレる部分はあったものの、 なんとか氷は登れた。 雪と混じった軟らかい氷で、全く研いでいないピックでも問題なく刺さるが、 アイスピトンの支持力はあまり期待できない感じだ。 しかし、普通に体重かけるだけならもちこたえてくれるので、 それにぶらさがって休むくらいはできる。
問題はそこから三スラに戻るところで、カンテ状にわずかに残る薄い氷と イネ科植物の凍結した根っこ(すなわちいわゆる一つの谷川の草付)をたよりに、 痺れるトラバースは25mくらい中間支点無し。 ルートの先行きが判らないところに、 隣の正しいラインを登っている関西弁のパーティーに 左上気味にトラバースするとマシかも、とヒントをもらい、なんとか活路を見出す。 そうこうするうちに吉川さんからロープいっぱいのコール。 さっそく来ましたよ。 中間支点すら無いところにいっぱいといわれましてもですね… なんとなく目に付いた、生きてるのか死んでるのか判らないハイマツの根っこと、 カンテ状の岩場のリスに中途半端に打ち込んだロックピトンでビレイポイントとして、 吉川さんを迎えることにする。
そこに追いうちをかける「テンションかけても大丈夫?」との声。 いやいやいや。 それはまずいでしょう。絶対ヤバいでしょう。 でもそんな事言ってて吉川さん、絶対落ちたりしない人ですから、 ここは安心させるためにテキトーな事言ってごまかそうかな。 いやでも待てよ。 ホントはヤバくないのにそんな事言う人じゃないからな。 ここは正直に言ったほうがいいな。 「いや、あんまり大丈夫じゃない」
登って来た吉川さん、寒い支点を見て「あーこりゃ落ちれんわ」
そのまま彼にはツルベでトラバースを続けてもらい、 三スラの雪壁に出たところで、 自己確保一本を残してこっちの支点類を片付け始める。 通常のクライミングではありえない、掟破りの段取りだが、 何が起きるか判らないこういうルートでは、 クライミング全体を見れば、こうすることでスピードが安全に繋がるのだ。 リードから「ビレイ解除」のコールがあるとすぐに登り始められる事が理想だ。
ここで、腕時計(セイコー フライトマスター メカニカルクロノグラフ 限定生産モデル なんでそんなもん3スラに持って来たんだ俺は) とカメラ(CONTAX T3)を入れたポシェットをハーネスに吊していたのが、 紛失している事に気づいた。 ガーン!なんてこった! しかし、今更下って探すべきではない。 ここで下ったら、1時間は遅れるだろう、 あるいは今日はもう登るのを諦めて帰るかだ。 帰るといってもそろそろ雪崩の時間だ。背後の各ルンゼからは、 時おり早くも恐ろしい雪崩の音が聞こえる。 橋は焼け落ちたのだ。もう登るしかない。 辛い決断だったが、一瞬で諦めた。 すまない! 君達は一ノ倉で安らかに眠れ!
とはいえ、これらの紛失はやはり非常に悲しいので、 万一この記事をお読みになった方で、 3/4の午前6時以降、一ノ倉本谷で LowePro のポシェット(黒)に入ったカメラと時計を 拾った方は、私(yuji@webmasters.gr.jp)まで御一報くださると幸いです。
時おり止まってアイスアックスやアイスピトンを支点に「ビレイごっこ」しつつ、 おおむねコンティニュアスすなわち同時登攀でひたすら高度を稼ぐ。
時おり先行パーティーが落すものと思われる、雪や氷の破片が、 谷川の落石っぽいうなりをあげて通りすぎる。 いつしか対岸のエボシ岩も衝立の頭も眼下となり、 広川さんらと登った衝立中央稜から 雨の三スラを濁流が滝となって流れ落ちるのを見たのを思い出す。 あそこに冬場、自分が来る事になるとは、 当時は想像だにしなかったが。
陽当たりのいい稜線や雪田から、雪崩が連発する時間帯に入って来た。 雪崩といっても岩石混じりのものも多く、そういうものはまるで落雷のような音がして、 これが谷じゅうに響き渡る。 ちょっとイヤな氷壁を登っている時に後ろから 「ズドドーン!ゴロゴロゴロゴロゴロドドドドド」と響いて来る。 雪は締まっていて登りやすいとはいえ、 踏み固めてもちっとも固まらないのはいつもの事だ。 だから、スタンディング・アックス・ビレイの足元など、 スリップ一発でふっとぶだろう。 さーて盛り上がって参りました!
F4が核心という事だったが、どれがF4やら結局判らずじまい。 とにかく絶対落ちないように慎重に速く登るので精いっぱいだ。 ルートの記憶も曖昧で、どこをどう登ったのやら皆目思い出せない。 ダガーポジションを多用した。 とにかく、落ちたら止まらない、というのしか印象にない。
ふと気づくとドームの基部が間近に迫って来ていた。 その下の、何だかよく判らないあやしげな雪壁が、 いつも問題になる草付き帯だ。 今登っている雪壁と、その草付き帯の境目にちょっといやらしい氷瀑がある。 そこを登る先行パーティーが見える。 右上して2スラとの境界リッヂを越え、草付きを直上するのがガイド本の記事だが、 先行は3スラを直上してドーム基部左端にとりつく模様だ。 なんとなくそのほうが登りやすそうなので、我々もそれを追うことにする。
この氷瀑は20mくらいだが、落ち口で傾斜が強く、 しかも氷が薄く、 しかもちょうど後ろから雪崩の音がまとまってどんどん聞こえて来て、 かなり恐ろしかった。 しかし、中間支点はアイスピトンで比較的ちゃんと(三スラにしては)設置することができた。
続く草付きを吉川さんがリード。 ここでドーム基部の雪田から小規模な雪崩が発生し、ビレイしてる俺の方にもやってきた。 幸い、非常に小さいもので全く無害だったが、それでも膝まで埋まった。
アイスピトン2本とアイスアックスでこしらえた、 うさんくさいビレイポイントを回収して、草付きを登る。 案外雪がしっかりしていて、 植物の根っこによくピックも効いて、登りやすい。 聞いていたより恐ろしくなかった。 もうこの頃には、支点がちゃんととれない事など、なんでもなくなっていた。 ただ、上からの雪崩だけは恐ろしかった。 この恐怖を、背後のルンゼからの雪崩の音がさらに盛り上げてくれた。 もういいです、十分です、というくらいに。
いつしか草付きをぬけ、ドーム基部の急な雪壁は、 すぐ左の滝沢リッヂとの合流ポイントでもある。 50mロープいっぱいでは基部に届かず、同時登攀に切替えてドーム基部を目指す。 岩屋状になっている箇所がドームを登るルートの取り付きで、 ちゃんとした支点がある、との事で、そこをめざしてひたすら急な雪壁を登る。 さすがに傾斜が急で、雑に歩くと足元が崩れそうだ。 崩したら、1000m下まで止まらない。 ひたすらジワ〜っと力をかけて進む。 この記事を書いている今も、思い出すと口の中にイヤな味が甦る。 ドーム基部のピトンにクリップして吉川さんを迎えた。 6時間ぶりにちゃんとした支点にクリップした我々であった。 やりました。 積雪期の滝沢第三スラブ、完登です。
生命の危険が無いというのはなんと素晴らしい事なのでしょうか。 安全とはなんと得がたいものなのでしょうか。
途中、食事どころか水を飲む余裕もなかったので、 かなり消耗していた。 ドーム基部で食事し、一ノ倉沢を見渡す。 こうしている今も、あちこちの沢からは雪崩がどんどん発生し、 おそろしげな音が沢じゅうに響き渡っている。 しかし、それも今や我々とは関係のない出来事だ。
食事を終えて吉川さんがドーム基部のトラバースにかかる。 ものすごい高度感で、しかも不安定で急な雪壁というのが恐ろしい。 トラバースの終点はAルンゼへの懸垂下降支点。 支点は非常に立派なものが慰霊碑の横にあって、 それに谷川らしい腐ったスリングが山盛りに巻き付いている。
吉川さんは、秋に三スラを登った時、ここで一泊したそうだ。ありえねー。
無事に35mの懸垂下降も終り、ロープを回収してAルンゼを登る。 雪の状態は、まあまぁかな。 今さら文句言っても始まらないので、ひたすら全開でラッセルしてルンゼを抜けた。 山頂直下の悪い雪壁をもがくと、 双耳峰の北側ピークの近所にぽっかりと登り詰めた。 春の日差しが和やかに降り注ぐ、 ヨロケたりけつまづいたりせぬよう細心の注意を払い、 あるいはアイスアックスを握りしめたり爪先立ちしてこらえたりする必要のない、 何もしなくても安心できる平和な世界だ。 天国というものがあるとしたらこういうところでしょう。 そして地獄があるとすれば、それは今も雪崩が渦巻く一ノ倉沢の底でしょう。 この対比は一体、何なのでしょうか。 やった。ついにやりました。 吉川さんは雪の上に大の字になってひっくりかえっています。 そして、おもむろに起き上がって一ノ倉沢を見下ろして 絶叫しています。 私はそのままそこに寝込んでしまいたい気分だ。 ザックの上にへたりこんで、水を飲み、僅かに残った菓子パンを食べた。
二人とも腑抜けのようにヘロヘロで、 天神平まで歩き、下山した。 無論ロープウェイですよ。当然でしょう!
まず、よかったところ。
条件が良かった。雪が非常によく締まっており登りやすかった。
パーティーの足並みがよく揃っていて、確保のセットや解除が素早く、 登るのも速かった。 二人とも体調も良かった。 役割が微妙に分担されていたところも良かったと思う。 吉川さんが全体をよく掴んでいて、止まってのビレイと 連続登攀の切替えや、登攀経路を的確に判断してくれた。 私はそれらの戦略的判断に合致する形で 目の前の微妙な氷のピッチを突破することに専念した。 三スラの大部分は「歩いて登るにはちょっとしんどい坂」だが、 一部には傾斜が強いのに氷が薄かったり弱かったりして、 シビアなポイントがあり、クライミング全般を見据えた的確な判断と、 テクニックの双方が必要である。
アイスアックスとクランポンの選定は、藤田が北辰*2とdart 吉川さんは quark*2 と M10 で、どちらもルートによく合っていた、 もしくは完全に使いこなしていたと言える。 吉川さんのM10は前2本ツメ構成。 藤田のクランポンはモノポイントだが、ヤワい氷雪で滑べってしまう、 という事もなく非常に安定し、 微妙な箇所では本領の自由な使い勝手を存分に発揮してくれた。 アイスアックスは岩を叩きまくりボコボコになったが、 潰れたピックでも十分刺さる氷質。 店で売ってるピックをそのまま持って来ても問題なく使えるだろう。
だめだったところ。
荷物が多かった。特に登攀具が多すぎ。 あんなに一杯持って来ても、 どうせ使うところなんか、どこにも無いっちゅうねん。 思えば、「これらの道具が使えるところであってほしい」 という、あれは私の儚い願望が形となって現れたものだったのだろう。 パーティーにヌンチャク5本、フリーのビナが3枚、紐が4-5本、 アイスピトン5本(中3本短2本)あれば十分。 それ以上持ってても単なる重り。 しかし、実際それだけを持ってあのルートに向かうとなると、 ビビってしまい出合いで帰って来てしまうかもしれない。
dart は雪ダンゴがひどかった。 これは三スラでは傾斜のために特に問題にならなかったが、 Aルンゼではかなり難儀した。 また谷川に行くことがあれば、これは何かちゃんと考えた方が良い。
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