久々に東工大美術部探検隊の活動に参加した。 今回は日本達人登攀者倶楽部との合同隊である。
みんなあいかわらずだった。
行きの電車のなかで、 mixiに東工大美術部の寄り合いがあると関に聞いたので、 さがしてみた。 そのものズバリな名前で非公開コミュニティとして存在していた。 入ってみた。
山で猛禽をみた。オオタカのような感じだったが、よくわからない。 帆翔からはばたきに移行し、すぐ見えなくなった。
登ってるとよくウソが来る。
さて、そろそろ脱ゲレンデかな、という機運が俺の中で高まってきた。 荒川出合いのブライダルベールを見てから7年。 今年そろそろ登るかね? ところで氷あるのかな? 日本の氷ルートの場合、元になる雪や水が無きゃそもそも存在しないわけだが、 今年は冷え込みだけは良い感じだが、太平洋側の降水量が少ないみたいだからちょっと心配。
パソコンの時計はひでぇ精度だな。 これじゃ俺のゼンマイ自動巻腕時計の方がまだ全然マシだよ。 そうだな、ntp ってやつ使ってみるか。
バネ式の力学フリコ調速機は、やはり冬場は進むな。 これが温度係数ってやつか。
何のはなしかというと、 つまり、フリコにバネがついていて、これで往復運動させているわけだが、 温度が下がると金属のバネ係数が増えるので、 フリコの周期は減って、時計が進むって話だ。 普通の鋼を使うと一度の変化に対して一日あたり10秒以上の誤差になる。 つまり、冬にぴったりの時計が夏には一日3分以上も遅れるようになるわけだ。 これじゃ使いものになりません。
そこで、フランス人のギョームというひとが、 100年ほどまえに、温度によって弾性の変わらないニッケル基合金「エリンバー」 (ELasticity INVARiant であろうか?)というのを発明し、 温度差による誤差の問題を解決したのであります。
ちなみにそういう便利な合金が発明される以前はどうだったかというと、 フリコがバイメタルになっていて、 温度が下がると腕が伸び、慣性質量が増大して弾性の変化をキャンセルするように なっていたのであります。 大航海時代の航海用精密時計は、こういう設計だったわけですな。
なお、ギョーム氏はエリンバ合金の発明に先だって、 温度が変わっても熱膨張しない「インバー」という合金も発明しています。 これは精密フリコ時計のオモリを吊すのに使われました。 そんな業績が認められて、彼はノーベル物理学賞を受賞したそうです。 力学フリコ時計が科学技術の最前線だった頃の話です。
合金なので、いろんな具合によってバネの特性は同じになりません。 温度変化で弾性率が変わらないものと、そうでないものがどうしてもできちゃうわけです。 この性能によって等級が分かれ、良いものは高級品の部品になるという、 階級社会がここにもあります。 元もと付いてる部品がヘボいのでどんなに頑張って調整しても、 限界があるわけですな。 なんか、こういう話を「カムイ伝」とかで見た気がするな。
奥多摩の雲取山に、木下とかが行ったのが、 きっかけだった。 1991年かそこらへん。
次に、なぜか倉沢鍾乳洞に行く事になった。 俺はヘッドランプとか持ってなくて、懐中電灯を腰にくくりつけて行った。 それで、倉沢林道の退避帯でキャンプした。 コンロとか無いけどいつも部室前の焚火で宴会してたから、 その要領で、焚火でナベにカレーを作った。 6人分なのに大ナベいっぱいのカレーができ、 食べ切れなくて道端に埋めた。 これが有名なカレー墓場伝説である。
それから、毎週倉沢鍾乳洞に行った。
他に、観光化されてない鍾乳洞や、富士山の熔岩洞窟も行った。 タテアナ技術を本で学んで学校の校舎で夜中に練習した。 今もそうだが、当時はかなり馬鹿だったと思う。
久しく洞窟行ってないな。
1993年末にはいろんなバイトで荒稼ぎして、 冬山装備を全部揃え、95年にはマッターホルンも登った。 ヰンドウヅ95が発売されたのとか、全く記憶にない。 研究室の同僚がノートパソコンに FreeBSD 入れて X サーバも動かして そこで修論書いてて、 「えらい時代が来たものだ」 と思ったのはよく憶えているけど。 96年に JECCに入会したと思う。