時事ネタだ。
共産党政権がひと声かければ、 これくらいの人数を集めるなんて造作も無いのな。凄いね。
チベットなんてどこにあるのかも知らなかった私が、 興味を持つようになったきっかけは、 ハインリヒ ハラーの「チベットの7年」という本でした。 ハラーはヨーロッパアルプス3大北壁のうち、 最後まで登攀者を撃退し続けたアイガーの北壁を 初めて登攀した非常に優秀なオーストリアのクライマーです。 大二次世界大戦直前の事でした。 この業績を評価されてドイツのヒマラヤ遠征隊のメンバに加えられ、 ナンガ パルバット(当時未踏の8000メートル峰)に遠征したところで 戦争が始まってしまう。 イギリスが主に抑えていた地域なので、 捕虜として捕らえられ、抑留生活を送っていたが、 登山隊で一緒だったパートナーと何度も脱走して失敗した末、 遂に脱走に成功し、 極限のサバイバルを経てチベットに亡命するのである。
チベットは当時、鎖国していたので、 勝手に入国したら国外退去(この場合は、また捕虜になる)か、 チベット国内の秩序で裁かれるリスクがある。 しかし戦争に関して中立の立場だったチベットにうまく亡命することが できれば、捕虜の身分から脱出する事ができる。 彼等はその可能性に賭けたわけだ。 そしてなんとかラサまでたどり着いて首尾よく高官の知己を得る事で、 見事亡命に成功するのである。
彼がダライ・ラマ14世の家庭教師をつとめたエピソードは有名だが、 その期間が非常に短かった事はあまり知られていないかもしれない。 間もなく共産党政権がチベットを侵略したからである。
共産党に侵略されるまえのチベットが、まるで理想郷の如く描写される事もあるが、 当り前ですが、そんなところは地上にありません。 このあたりは、河口慧海のチベット紀に興味深い記述が多い。 仏教修行のため、明治の頃に単身チベットに潜入した僧侶で、 その著書ではチベットのなまぐさ坊主のだらけっぷりがよく描写され、 良くも悪くも独特な社会だったことが判る。
チベット人は元来、精強無比な遊牧民であり、 これが現在のように温和になったのはラマ教の教えによる、 とかいうような話しも小耳はさんだことがあるが、 この真偽はよくわからない。 ただ、ハラーの本にも慧海の本にも凶暴な強盗の話しがでてくるのだが、 ラマ教以前のチベット社会は、 そんな感じだったのかもしれないな、 と、 なんとなく妄想している。 ちょうど、イスラーム以前すなわち 「ジャーヒリーヤ」時代のアラビア半島の略奪経済のように。
さて、一方の共産党政権です。
自分たちがやってる事の倫理的な問題を一番良く知っているのが、 当の本人たちなのであんなに過敏に反応するのでしょうね。
せっかく動員したんだからいろんな旗を持たせるくらいの 知恵があっても良さそうだが、 当面の国内施策までしか頭が廻っていない。 よほど国内事情が困難なのでしょうか。 これでよく心が持ちこたえますね。 自分が同じ状況に置かれたら、3日で鬱病になるでしょう。 政治家は凄い。
ハラーは数年まえ、この時代のうねりを見ることなく亡くなった。 チベット情勢に一片の希望すら無いまま この世を去らねばならない彼の境遇を思いつつ その死去を伝える記事を読んだ事をよく憶えている。
恒例の富士山スキー。
28日、鎌倉付近で待ち合わせ、吉川号で富士山に向かう。
その夜は良い天気。
29も全日快晴。
↑滑走中に自分を撮影。顔面全面日焼けでひでぇ。全身筋肉痛。右股関節に異常あり、翌日は 全身疲労でほとんど一日中寝てました。 1kmほどしか歩けなかった。