Bladeforums と Debian Ruby1.9 Kaigi (2009/07/05)


Bladeforums ばんざい

ユーザ登録したのが去年の7月だからちょうど1年か。 いやー、ここは面白いですよ。 個人メッセージ機能なんかが追加されてはいるけど、 基本は昔ながらの web BBS なんですが。

なんでおもしろいのかというと、それは居る奴が面白いから。 なかでも wilderness and survival skills 板が面白くて、 もう1年くらいずっと常駐してます。 いろんな web サイトのなかで、一番頻繁に見ております。 なんせ、ナイフマニアの板ですから、 圧倒的に面子が濃ゆくて、その濃さはほとんど眩がするほどです。

まず、出入りしている全員が間違いなく、カミソリの切れ味にナイフを研げます。 普通に研げるだけではなく、刃の角度を好きなように変えたり、 蛤刃にしてみたり、柄を改造する、あたりは普通。 ナイフ自作も特別な事ではなく、そのレベルも非常に高い。 他に面白いのは鞘の自作がけっこうあって、このあたりに、 みっちり使い込んでいる感が出ていて興味深い。 「鞘メーカー」を名乗るメンバも何人か居る。 刃は錆びる切削用工具鋼派が大多数で、 SKS3 と SK4 (現SK95) が人気がある。 それらに、カラシを塗って一晩放置し、 わざわざ刃面に黒錆を出したのがカッコイイとされています。 もっとも、ちゃんと銀色に磨いてる人も多いですけど。

「熊が家の前に出たので撮影してみた」とかいうスレがよくたちます。 それもヒグマだったり。笑 熊が出ない時は鰐が出て、 熊も鰐も出ないときは蛇(ガラガラへび)が出ます。 キリモミ式で火を起こす人は普通に居ます。 しかも、このへんはサクっとできないと、 どうもダメらしいのでこんど俺も練習してみます。 bic ライターを使うと「cheat」といわれます。わら

こないだ、計算尺の画像に「This is for survival computing」とかいって 投稿したら 「そいつはどうかな。俺はこれで十分だぜ」とかいって そろばんの画像を投稿してくる人や、 HPの逆ポーランド記法電卓を投稿してくる人なんかが居て かなりウケました。 基本的にみんなマジメで、

bic のほうが手軽だが、俺達はわざわざ弓キリ式で火を起こす。 このスレは計算尺でパソコンの代わりをする、と言ってるんじゃない。 どちらも使えるようになろうぜ、という話なんだ。

俺はソロバンをきっと使えるようになって見せるぞ。 ソロバンは、森にあるものを使って作れるところが、いいじゃないか。

とか、

計算尺とは懐かしいな!

おかげで、これに関係あるとても大切で事を思い出したよ。

むかしは、どんな計算でも暗算でやったものさ。 対数や平方根や立方根まで暗算できた。 まだIBM-PC ができるずっと前のはなしだが、俺がマイコンをいじってたころ、 8進や16進の計算も暗算でやったものさ。

大学に行ったら、やっぱり計算機は使わないわけにはいかなくなってきて、 気が付いたら、くだらない足し算まで計算機でやってたよ。 そして、もう暗算の力は二度と戻らなかった。

俺が言いたいのは、こういった基本技術は大切で、それが命救う事もある、 って事さ。そりゃ暗算のおかげで生き残るなんてありえないかもしれないが、 だからといってそれが関係無いとは言えないだろう。弓ギリ式の火起こしなんて、そのものじゃないか。

まぁ、これはみんな判ってる事だと思うよ。 だけどつい、ひとこと言いたくなってしまったんだ。

使わなければ、錆びつくんだよ。

あるいは、「サバイバルで計算なんかするわけないじゃん」という意見に対して

それはどの程度やるかによるよ。 どれくらい正確に航法、建築を実行するつもりか、にね。

いま、息子とちょうどやってるところなのさ。彼はまだ6才だが、 いろんなものを作る事にハマってるんだ。 そのなかで、数学を実地に学んでいる。 数学は実際に直接に役に立つんだ。

つまり、おなじみの最終戦争が起きた後、 キミがどのくらい石器時代の上を狙うかによって、数学の必要性は変わるって事さ。

なんていうレスがつくわけです。

メンツの濃さもですが、 他に面白いと思うところは、 みんな議論の場では非常に生産的なんですよ。 これは海外のフリーソフトの開発MLなんかでもよく思う事なんですけどね。 日本とか、「それダメじゃん」って言われると 全人格を否定されたと思って逆上するような、打たれ弱いヘタレばっかりじゃないですか。 まぁ外国にそういう人が居ないとはいいませんが、 何なんすかね、この違いは。 Blade Forums は運営もしっかりしていて、そういうキチガイを ちゃんと取り締まる仕組みがある、というのも大きいと思いますが、 なにか基本的なところが著しく違うな、と感じます。

ちなみに 「おなじみの最終戦争」を表す略語がというものがありまして、それは TEOTWAWKI である。 すなわち The End Of The World As We Know It の略である。

読書

「形而上」という術語の意味を比喩を用いて説明すると、 プログラミング言語における組み込みのデータと関数の作り、 もしくはコンピュータにおいてCPUの命令セットとアドレス空間の構造 に相当するような 宇宙ないし世界に関する理解の枠組、という意味です。 この比喩が、この記事を読む人の背景から考えて、もっとも多くの人に理解してもらえるものと思います。 つまり、何が存在し、他の何がそれに依存して存在するのか、 という事を規定する、意味論に基づいた論理的フレームワークの事です。

だから、形而上学はかなり難しい学問です。 ややこしいのでも、問題が間違っているのでもなく、本質的に困難です。 よく日本では形而上というと「役に立たないああいえばこういう系の口先だけの空論」 というほどの意味で使われますが、 そういう意味で使う人は自分が形而上学を全く理解できないという事を わざわざ表明しているわけです。

だいたい、アリストテレスともあろう人が、自分の最も主要な著書に「形而上学」なんて題をつけてるんだから、 それがそんな空理空論なわけない、という事くらい見当が付きそうなものだが、 まぁ、あんまり言うと厭味か。

2009/07/05

久々に樹海でキャンプしてきた

それから、 Debian Ruby1.9 kaigi に出席。

思えばフリーソフト界隈の人々に会うのもずいぶん久しぶりの事で、 楽しくもあり、有意義でもあり、よい刺激でもあった。

企画されたやまださん、森脇さん、また、参加された皆様もありがとうございました。


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